日別アーカイブ: 2025年7月27日

「大きくなってね」峰浜漁協、地元の小学生とヒラメの稚魚放流

八峰町の峰浜漁協 (塚本一組合長、組合員25人)は18日、峰浜小2年生の〝加勢〟を得て、同町峰浜の沼田地区の海岸でヒラメの稚魚8千匹を放流しました。
児童たちは「バイバーイ」「大き くなってね」と声を掛けながら、稚魚を海へと送り出しました。
ヒラメの稚魚育成と放流事業は県栽培漁業協会が毎年、県内各地の漁協の協力を得て行っており、今年度は20万匹を目標に7月中旬に実施。
ふ化から約25カ月経過し、体長7~8センチに育ちました。
この日は同協会事業分を含め稚魚8千匹を用意しました。

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<三浦個人の意見/感想です>
子供たちの情操教育にはとても良いことだと思います。
資源の大切さを学びながら、心豊かな大人に成長していくことを望みます。
※「峰浜漁協」は「八森町峰浜漁業協同組合」の略称と思われます。

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稚魚調査 網を引き採集、延べ414日 ハタハタ未知と探求(2)

本県のハタハタ資源は2010年代前半から減少傾向にあり、近年は記録的な不漁となっています。
今後、ハタハタ資源がどう回復してゆくのかは、現時点では予測できていません。

青森県から富山県までの各県のハタハタ漁獲量の変動の傾向はよく似ており、この海域のハタハタは「日本海北部系群」と呼ばれます。
そして、日本海北部系群の最大の産卵場が本県沿岸なのです。

日本海北部系群の産卵場と稚魚の生息域は、浅場から水深200メートル程度までの沿岸が中心のため、次に資源回復の兆しが現れるのも本県沿岸である可能性が高いのです。

ハタハタ稚魚調査を支えている調査船「千秋丸」
資源の変化を把握する鍵となるのが、県水産振興センター(男鹿市)が続けているハタハタ調査です。
漁獲量が記録的な低迷期にある今、調査への関心と理解を深めてもらうためにも、その内容や成果を紹介したい。

◇  ◇

ハタハタの卵は毎年12月ごろ、岩場に生える海藻に産み付けられます。
水温が10度程度であれば約50日後、1月下旬から2月にかけてふ化します。

稚魚期は、その沖に広がる砂泥底の海域で過ごすことが分かっています。
魚類は発育に従って仔魚(しぎょ)、稚魚、幼魚、成魚と呼び分けるますが、ハタハタに限らず、仔魚期と稚魚期の死亡率がかなり高いのです。
より多くの稚魚が生き残れるかが、資源量の増減に影響します。

毎年春から夏に実施する「稚魚調査」は、そうした初期の生態に関わるデータを集める。産卵場である藻場を出発点に、仔稚魚の分布と成長、餌や海洋環境について調べ、稚魚の生き残りを左右する要因を明らかにすることが目的です。

藻場周辺の岩場にいる仔魚を採集するために設計・製作したソリネット
ふ化後間もない仔魚を採集するため、岩場でも引ける金属製のソリがついた網(ソリネット)と、砂泥底に分布する稚魚を捕らえるのに適した開口板付きの引き網(トロールネット)を用います。

ソリネットは本来、カレイ類など海底面の生物を捕らえるためのもの。海底を少し離れて遊泳するハタハタには適さないため、水産振興センター職員が新たに専用に設計・製作しました。

トロールネットも、釣り餌の小エビを取るのに使われる小型網を参考に職員が製作しました。
海中で水の抵抗を利用して網を開くための開口板は、県内の鉄工所に作ってもらいました。

引き網による調査は1983年度から民間の小型漁船で着手したのが始まり。その後、水産振興センターの第二千秋丸(19トン)で現在の方法を確立して以来、千秋丸(99トン)で調査を継続しています。

最も調査を盛んに行っていた2009年ごろの稚魚調査の流れはこうです。

朝、男鹿の船川港を出港し、調査場所を目指す。調査場所の水深はおよそ10メートルから350メートルまで。
海岸のすぐ近くから、遠い所では約30キロ沖までが対象です。
能代沖など遠方の場合は、調査船での移動に片道2、3時間を要します。

調査場所に着いたら、ワイヤにつないだセンサーを海底まで下ろし、水深ごとの水温や塩分などを観測する。

次に、水深の約3倍の長さのロープにつないだ漁具を船尾から繰り出し、網が海底に着くのを待つ。着底したら漁具が海底から離れないよう、かつ砂泥に食い込みすぎないように船速約1ノット(時速約1・8キロ)でゆっくりと引きます。
1分ごとに水深、船速、緯度経度を記録し、10分間引いたら巻き上げます。
これを多い日で5、6回繰り返します。
水深が深い場所では、1回の操業に1時間を要します。

特に早春の海の天気は変わりやすく、天候が急変し、中断して帰港せざるを得ないこともありました。
また、漁具が海底の岩礁に引っかかったり、砂泥が大量に入ったりして破損したこともあります。

◇  ◇

調査中はロープの張りや船速の変化に集中力を要し、緊張が続く。引き網が無事に終わると、船上は一気に安堵(あんど)感に包まれます。

調査で網に入った生物は全て種類や数を記録します
網を揚げたら、調査で最も楽しみな漁獲物の選別の時間だです。
網に入った生物全ての種類や数を記録し、数が特に多い場合や、珍しい魚が取れた時は保冷してセンターに持ち帰り、詳細に調べます。

主眼はハタハタであるが、同じ場所に棲(す)む生物についても調べることで、ハタハタの生態も詳しく分かるります。

引き網による調査はこれまで八峰町岩館沖から、にかほ市金浦沖までの海域で実施し、多い年で200回以上、網を引きました。
詳細な調査記録が残っている03年以降でみると、16年までの14年間で延べ414日にわたって漁船と調査船の両方による調査を重ねてきました。

そうして見えてきたのは、170種以上もの魚類とともに、秋田の海の季節変化や地形を巧みに利用して生きる、ハタハタの姿でした。

(県水産振興センター・甲本亮太)

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<三浦個人の意見/感想です>
ハタハタ漁獲量に対する調査データ、(1)の続きです。
是非参考にしてください。

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漁獲量変動の背景 「魚を取る力」も大きく変化 ハタハタ未知と探求(1)

秋田県の食文化に根付いてきた県の魚・ハタハタの記録的不漁が続いています。
今後の資源量の変化を探る鍵となるのが、県水産振興センター(男鹿市)が長年にわたり実施している各種調査です。
本連載では、センターの研究者がこれまでの調査の蓄積や成果を紹介し、ハタハタ資源管理の在り方や漁の今後を考察します。
次回は22日に掲載。

◇  ◇

本県のハタハタ漁獲量の減少傾向がここ10年ほど続き、2024年は17トンで過去最少となりました。
1894(明治27)年から記録が残る本県のハタハタ漁獲量は、これまでにも1209年、50年、80年ごろを境に約30年周期で大きく変化してきました。

63年から75年までの13年間は毎年1万トンを超える豊漁だったが、その後は急激に減少。
80年代は低迷したまま、91年に70トンまで落ち込みました。

この記録的な不漁を受け、本県漁業者は92年9月から95年9月まで、ハタハタの全面自主禁漁に取り組みました。
95年に漁を解禁して以降は2002~09年にほぼ毎年2千トンを超えるまでに回復したため、この禁漁を水産資源管理の優良事例としてご存じの方も多いでしょう。
ただ、10年ごろから再び減少に転じ、昨年の記録的な不漁へと続いています。

◇  ◇

漁獲量は、海にいるハタハタが多い、少ないという資源量によってのみ決まるものではありません。
漁業者の数や操業回数、漁具の性能といった「漁獲圧力」(魚を取る力)も影響します。

ハタハタがたくさん取れたとしても、それは漁業者が数多く操業した結果かもしれないし、反対に漁獲量が少なくても、操業数が少なかったことが理由かもしれないのです。
すなわち、漁獲量が資源量そのものを表しているとはいえないのです。

本県のハタハタの漁獲圧力がどう変化してきたかを知るため▽漁業者数▽底びき網船数▽小型定置網数▽刺網船数―のそれぞれの推移と、漁船や漁具の性能の変化をまとめてみましょう。

本県の漁業者数は1975年の4,576人をピークに減少傾向にあります。
2023年は630人で、約7分の1です。

ハタハタ漁底びき網船の隻数は1964年の148隻に対し2024年には17隻で8分の1未満。
小型定置網は1977年の624統に対し2024年には29統で約21分の1、刺網船は1997年の375隻に対し2024年には27隻で約13分の1になりました。

この中で、小型定置網と刺網船は数の変動が大きい。小型定置網は1982年まで500統を超えていたが、83年から急減し、禁漁直前には58隻となりました。
漁再開後は2005年に249隻まで増え、再び減少に転じました。

刺網船は1980年代に増加し、禁漁直前は146隻でした。
漁再開後にさらに増え、2003年まで300隻ほどの高水準で推移。
近年の著しい不漁の中でも減少は緩やかでした。

このように漁法によって増減の傾向が異なるのは、船や漁具の導入・運用にかかる費用や、操業に必要な人手の数のほか、ハタハタ資源量や魚価の影響も受けていると考えられます。

◇  ◇

漁船や漁具の性能は時代とともに向上しました。
昭和初期以降、漁船の動力化や耐久性が高い綿糸網などの導入が進み、1人当たりの漁獲圧力は高まりました。

特に1970年代以降は船体が木造から繊維強化プラスチック(FRP)製に置き換わり、耐久性が向上。網を巻き上げる油圧ウインチなど漁労機械の導入に加えてナイロン網も普及し、効率化と省力化が進んだ。漁業者1人当たりの漁獲圧力は飛躍的に向上し、現在とほぼ同水準に達したと考えられる。

75年以前の漁業者数が不明なため推測も含まれるが、過去にハタハタ漁獲量が大きく変動した背景を、漁獲圧力と対比して整理すると、

(1)1960年ごろまで=漁業者1人当たりの漁獲圧力が現在よりかなり低く、資源量と漁業者数によって漁獲量が決まった時期(2)60~70年代=資源が豊富な中、現在の7倍もの漁業者がいて、個々の漁獲圧力も高まったために漁獲量が大幅に増えた時期(3)80年代=現在とほぼ同じ漁獲圧力でも漁獲量が低迷した資源が少ない時期―と解釈できます。

漁獲圧力を加味して考えると、95年の漁解禁以降の漁獲量も見え方が変わります。

底びき網船1隻当たりの年平均漁獲量は、2003~09年が25・3トンであるのに対し、1963~75年は26・1トンで同程度。
つまり、1隻当たりの漁獲圧力は同等です。

それなのに、ハタハタ漁獲量は2003~09年がほぼ2千~3千トン台、1963~75年は1万トン超と大差があります。
これは漁船数の差の影響が大きいと考えられます。
両期間において本県沿岸に産卵のため来遊したハタハタ資源量は、実はかなり規模が近かった可能性があります。

一方で2020年以降は底びき網船数がほとんど変わっていないのに、漁獲量は大きく減りました。
このため、近年はハタハタ資源が顕著に減少しているとみられます。

漁獲量が最も多い小型定置網漁では漁解禁以降、ハタハタが大量に網に入っても、雌が少ない場合は漁獲枠に含まれないように水揚げしないことも多く、結果的に漁獲量が抑えられたことも考えられます。
(県水産振興センター・甲本亮太)

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ハタハタ漁獲量の推移ですが、大変貴重なデータなので参考にしてください。
(2)も是非お読みください。

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