日別アーカイブ: 2024年6月30日

男鹿のギバサ生育不良 昨年の高水温影響?廃業決めた業者も

本県でギバサと呼ばれ親しまれる海藻「アカモク」の生育不良が目立っている。
昨年の海水温の上昇が影響した可能性があり、男鹿市では原料不足のため廃業を決めた水産加工業者も出ている。
近年は健康効果が注目され、需要が拡大傾向にあるだけに、関係機関は資源維持の取り組みに力を注いでいる。

4月末から5月にかけ、ギバサの採取が盛んになる男鹿市戸賀地区。
今年は漁場に漁師たちの姿はなかった。
例年は17トンほどの水揚げがあるというが、今年は資源保護のため禁漁にしたためだ。
漁師の飯澤勉さん(70歳)は「採ろうと思えば3~5トンは採れただろうが、全て採取してしまうと継続できない。来年以降も漁を続けていくためだ。」と話す。
ギバサは強い粘りとシャキシャキした食感が特徴で、豊富に含む水溶性食物繊維はコレステロールの上昇を抑制する働きなどがあるとされる。
県水産振興センター(同市)によると、初夏に種を落とし根を張ったギバサは、幼体で夏場の高水温を過ごし、水温が低下し始める9月以降に急速に伸び始め、翌春に収穫適期を迎える。
昨年8~9月、男鹿半島の北浦、戸賀、船川の海水温は直近10年の平均を2.3~2.8℃上回って推移。
こうした異例の高水温が幼体の枯死や、サザエなどの巻き貝による食害を招いた可能性もあるという。
県内では今年、南部や北部でも生育不良の傾向がみられた地域があり、男鹿半島周辺で採れる海藻のアラメも今年は収穫がゼロだった。
センターは近年の漁業者の減少や、港湾や河川の整備による環境への影響といった複合的な外的要因に加え、高水温という大きな環境変化が海藻類の生育に影響したとみている。

男鹿市では水産加工業にも影響が出ている。
ギバサ加工品の製造販売を長く手がけてきた三高水産は、原料不足により年間を通じた従業員の雇用ができないとして、年度内に廃業することを決めた。
夏井勝博社長(67歳)は他県から調達することも一時は考えたというが、「秋田産として市場の評価を得ており、こだわりも持っている。
県産ギバサのイメージを崩すくらいなら退こうと決めた。」と話した。
今後は市内の別の加工業者にギバサ加工の技術を伝承したい考えだという。
市内では昨年度、地元の漁業者らでつくるグループがセンターの指導を受け、船川地区で養殖試験に乗り出した。
本年度は戸賀地区でも取り組みが始まった。
市農林水産課は、種を定着させる海中の岩盤の清掃費用や、漁具の購入にかかる費用を補助しており、「ギバサは男鹿の特産品。資源維持のため、養殖の取り組みを中心に後押ししていきたい。」と話した。

県水産振興センター、資源維持へ漁場づくりに本腰

県水産振興センターはギバサの資源維持に向け、漁場改良や養殖技術の開発に取り組んでいる。
漁場改良は2020年度以降、男鹿市沿岸の戸賀と八峰町沿岸の八森、岩館の3カ所に、コンクリート礁や天然の岩場を用いた試験区を設置。
ギバサの種を落とす岩盤を定期的にへら状の器具などで清掃し、付着した泥や他の海藻類を取り除いて表面を露出させることで、ギバサ漁場を効率的に造成する技術を開発した。

八峰町では、八森、岩館地区の漁師らがこの技術を活用してギバサ増殖に取り組んでいる。
戸賀では22年度までコンクリート礁4基を使って試験を行っていたが、本年度は10基に増やし、地元漁師らと連携して本格的に漁場づくりを進める。
約1トンの収量を見込んでおり、生育を促すため、5月上旬にコンクリート礁の清掃作業に取り組んだ。
県水産振興センターは「ギバサを中心に、海藻類や貝類などの『磯根資源』を増やす取り組みを進めている。
引き続き漁獲の安定や資源維持のための技術開発を進めたい。」としている。

秋田魁新報の記事

秋田魁新報のトップページ

<以下は白木個人の意見/感想です>
2021/5/22に「ギバサの藻場回復試験始動」記事を掲載し、2022/6/11に「ギバサの藻場回復に手応え」記事を掲載していますが、その後順調なんだろうか。
男鹿でこれほどの育成不良になっているとは思いませんでした。

町のふるさと納税の返礼品をみたら、ギバサが「在庫あり」となっていて安心しました。

ギバサ/アカモクはハタハタの産卵にもとても重要です。
どうか、この取り組みがこれからも順調に進捗することを祈っています。

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「クーリングシェルター」秋田県内14市町村が指定 熱中症警戒アラートに対応

人命に関わる暑さから身を守るために一般開放される「クーリングシェルター(避難施設)」について、秋田県内では14市町村が施設を指定していることが、秋田魁新報の調べで分かった。
8市町村も検討中。
指定は4月に全面施行された改正気候変動適応法に基づくもので、県も拡大に向け啓発に注力する方針だ。

国は今年から、「熱中症特別警戒アラート」の運用を始めた。
改正法に基づき、気温や湿度などから算出する指標「暑さ指数」が県内の全ての地点で35℃以上になると予想された場合、前日午後2時ごろに発表される。

改正法はアラート発表時に開放できるよう、冷房設備や滞在できる空間が整ったシェルターを指定するよう市町村に求めている。

秋田魁新報が今月15日時点の指定状況を全25市町村に聞いたところ、14市町村が計143施設を指定していると回答。
このうち鹿角市は25日に指定した36施設を発表した。
また、検討中の8市町村のうち、にかほ市と五城目町は今月末までに指定予定としたほか、由利本荘市は30カ所程度指定し、7月に公表予定とした。

秋田市はこれまでに市役所や図書館など公共施設28カ所を指定。
開館時間と受け入れ可能人数をホームページで公表している。
シェルターの指定には施設の管理者の同意を得て協定を交わすことが必要だ。
秋田のほか、能代、鹿角、大仙各市は民間事業者にも直接の訪問や広報などを通じて協力を求めており、指定数を拡大したい考えだ。

一方、美郷町は「具合の悪い方が生じた場合に対応できる」として、指定を公共施設に限定。
男鹿市は「土日は民間施設の協力が不可欠」としつつも、負担の大きさなどを理由に「来年度の指定に向け検討する。シェルターの効果が明らかになれば協力を依頼しやすい」との意見を寄せた。

未指定としたのは3市町。
このうち大館市は「ある程度は冷房を稼働させておくこととなり、省エネの取り組みと相反するため、利用状況を見極める必要がある。」。
八峰町は「指定していないが、必要に応じて公共施設を開放する。」とした。

県と環境省によると、県内は昨年1年間に特別警戒アラートが発表される状況はなかったが、県内のいずれかの地点で暑さ指数が33に達すると予測される場合に出される「熱中症警戒アラート」は計17回発表された。
「警戒アラート発表時に活用できるシェルター設置の在り方を検討する必要がある」(湯沢市)などの声もあった。
気象情報会社・ウェザーニューズ(千葉市)によると、今年の夏(7~9月)の気温は全国的に平年より高く、観測史上最も暑くなった昨年に匹敵する暑さとなる可能性があるという。
県は県有施設の活用も検討する。
県温暖化対策課は「市町村に情報提供するなどして、取り組みを支援したい」としている。

秋田魁新報の記事

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<以下は白木個人の意見/感想です>
八峰町は未指定、現時点で指定済み施設ゼロ!です。
でも、考えてみれば、このクーリングシェルター施策は、人通りがそこそこいる商店街や公的施設などの通りを歩いている方々が対象ではないでしょうか。
我が町にそんな通りは存在するでしょうか。
もし、ご自宅にエアコンの無いご高齢者が涼を求めて、炎天下の中クーリングシェルターまで歩いて行くとしたら、本末転倒です。途中で倒れてしまいます。
そんなことは誰もしないと思います。
だから、我が町はこれでいいのかも、ですね。

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八峰町の遮断機ない踏切、死亡事故前に廃止要求 JR秋田支社

今月20日に列車と軽トラックが衝突し、男性が死亡した秋田県八峰町峰浜目名潟のJR五能線の萩の台踏切について、JR秋田支社は27日、事故前から町に廃止を求めていたと明らかにした。
この踏切は警報機はあるが遮断機の付いていない「第3種踏切」。
支社は町を含め同様の踏切がある自治体に対応を要請していた。
支社によると、県内にはJRの第3種踏切が12カ所、遮断機と警報機のない「第4種踏切」が18カ所ある。
支社は道路管理者である自治体と年1回ほど両踏切について協議しており、以前から廃止を求めていたという。
八峰町を含む多くの自治体が、住民が利用する重要な経路との理由から、廃止ではなく遮断機や柵の設置、住民への注意喚起の強化といった対策を検討しているという。
支社と町は事故後の25日にも協議しており、安全対策を話し合っている。
八峰町の事故は20日午前7時50分ごろに発生。
JR五能線の下り普通列車と軽トラックが衝突し、軽トラックの男性が死亡した。
国の運輸安全委員会が調査している。

秋田魁新報の記事

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<以下は白木個人の意見/感想です>
赤字ローカル線(リゾートしらかみは除く?)では、お互いの主張はどこまで行っても水掛け論の平行線だと思います。
と言って、今後もこのままだと、またいつの日か再発するのを指を咥えて待ってるだけ。
何とかならないでしょうか。
例えば、第3種12箇所について、重要性/利用頻度等を精査して、半分を閉鎖し、残り半分へ遮断機を設置するとか。

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「もう終わりだよ」人口減を嘆く声 絶望のなかにこそある「希望」探して

「もう終わりだよこの県」
、「消滅しちゃうよ」
、「もう地元終わってるよ」
今月24日、秋田県の人口が90万人割れを目前にしているというニュースを秋田魁新報が報じると、SNS上の記事にこんなコメントが並んだ。
2日で記事の表示は8万回に達し、直近1週間の記事で最も多かった。
秋田の人口は、5年に1回の国勢調査で2000年から5回連続、減少率が全国最大。
全国47都道府県のなかで最も速いペースで人口減少が進む。
人口減を嘆く声があちらこちらで、ことあるごとに聞かれる。
そういう秋田であることは否定できない。
島根大教授として昭和期の農村の荒廃について研究を重ねた安達生恒(いくつね)=1918~2000年=は、著書「“むら”と人間の崩壊」(三一書房)のなかで、一片の作文を紹介している。
島根県弥栄(やさか)村(現浜田市)で1967年に住民意識調査を行った際、中学生に「村の将来について思うこと」と題して書いてもらった作文からの引用だ。
「この村では里山を開けばタバコも牛も増やせるのに、役場もそれをやろうとしないし、親たちもすっかりあきらめている。だから僕はこの村はつまらないと思う。つまらない村だから、卒業後は大阪に出る。おそらく村に帰ることはないだろう。」
弥栄村は当時人口約3,200人の山村で、1960年から65年にかけた人口減少率が25%に上っていた。
同様の作文が何通もあったと安達は記し、過疎問題を考える際には「こうした住民意識の後退」を重視しなければならないと説いた。
現在の浜田市弥栄地区は、高齢化率が5割を超える。
本連載の後半、秋田や「地方」の今後を考える「展望編」では、県内外さまざまな挑戦の姿を見てきた。
まだないしごとを興す起業家。
地域の触媒として人と人を結ぶ自治体職員や地方議員。
現場の声や課題に向き合い変革を起こすリーダーたち。
そして、若者に選ばれ続けるまちを目指す島。
人口減少という下り坂にあってなお、にぎやかさや活気を地域に生む彼らの姿は、未来への希望を感じさせるものだった。
しかしその一方で、あきらめ、あるいは絶望といっていい声が人口減という社会現象の周辺に根深いのも事実である。
「でも、希望という言葉は本当に過酷な状況を受け止めて、それでも明日に向かって生きていこうとするときに、にじみ出てくるものなんじゃないかなと思う」。
そう語るのは、東大教授の玄田有史=ゆうじ=(59歳)。
2000年代初めから「希望学」を研究してきた経済学者だ。
絶望のなかにこそ、希望がある。
玄田が著作や講演でそう説くときに紹介するエピソードが二つある。
「希望」という言葉と関連の深い歴史的なできごとを過去の新聞記事から調べたとき、登場頻度の多い事象の一つが「水俣」だった。

産業構造の変化による人口減少を早くから経験してきた岩手県釜石市で、ある副社長がこんなことを言った。
「棚ぼたというのはない。動いて、もがいているうちに何かに突き当たる」

「『希望があれば救われる』というよりはむしろ、挫折や試練を生きてきた人が希望を持つ。
なんとかしてこの困難な状況を抜け出したいと心の底から思ったときに、人は希望を持つようなんですね。」
◇  ◇
八峰町にある山本酒造店の社長、山本友文(54歳)はかつて、倒産を目前にあえいでいた。
都内の音楽プロダクションで働いていた2002年、経営不振に陥った家業の酒蔵を継ぐため帰郷。
日本酒の消費量が全国的に落ち込むなか、酒づくりを担う杜氏(とうじ)を雇用できない状況にまで追い込まれた。
廃業も視野に入る。
考え抜いた末に一手を打った。
山本自らが蔵に入り、酒造りを担うという奇手だった。
当時まだ珍しいこのやり方で造った酒を名字の「山本」という名で売り出すと、周囲から励ましや応援の声が寄せられ、多くの酒販店が協力。
数年がかりで人気ブランドにのし上がり、経営を立て直した。
「あのころは寝る間もなく働いていて、記憶もないぐらい。ただ、会社をつぶしてしまい子どもたちの将来をつぶすわけにはいかないと、がむしゃらだった。初めて自分で酒造りをした年、たくさん造った酒のなかに奇跡的にいいでき具合の酒があった。そのとき、希望を感じた。」。
どん底でもがいていた20年ほど前を、山本はそう振り返る。
◇  ◇
玄田は2010年の著書「希望のつくり方」(岩波新書)にこう記している。
「希望は自分で探し、自分でつくっていくものです。
与えられた希望は、本当の希望ではないのです。」
絶望のなかにこそ希望があり、その希望を探し、つくり出すのが自分自身なのだとすれば、われわれはいたずらな悲観論や冷笑主義に陥っている場合ではない。
いやむしろ、人口減少にあえぐ秋田だからこその希望が、足元にあるはずだ。

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<以下は白木個人の意見/感想です>
「でも、希望という言葉は本当に過酷な状況を受け止めて、それでも明日に向かって生きていこうとするときに、にじみ出てくるものなんじゃないかなと思う。」

「希望は自分で探し、自分でつくっていくものです。与えられた希望は、本当の希望ではないのです。」

絶望のなかにこそ希望があり、その希望を探し、つくり出すのが自分自身なのだとすれば、われわれはいたずらな悲観論や冷笑主義に陥っている場合ではない。
いやむしろ、人口減少にあえぐ秋田だからこその希望が、足元にあるはずだ。

それは充分分かっているけど、成功が保証されたものでは無いし、家族の生活が懸かっているとチャレンジするのも・・・。
至極分かります。
だから他人が「やってみたら」とは中々言えないのです。
公的な補助金や銀行からの融資など資金確保の苦労も並大抵では無いでしょう。
結局、そのリスクにチャレンジする覚悟を持つ者がどれだけいるか、なんだと思います。
それでも、「頑張ったから成功」の保証はありません。
本では恐らく成功例しか書かないと思います。
失敗した者、夢破れた者は莫大な借金を抱えてどうなったのか・・・。
これはいたずらな悲観論だろうか。

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