日別アーカイブ: 2025年8月16日

世界大手ベスタス社、日本国内で風車製造か 八峰・能代沖事業に追い風

八峰町・能代市沖で計画されている洋上風力発電事業に追い風となりそうな動きが出てきました。
世界大手の風力発電機メーカー・ベスタス(デンマーク)が先月30日、経済産業省、日本製鉄(東京)と覚書を交わし、日本国内で風車の製造を検討することになりました。
事業を担うENEOSリニューアブル・エナジー(東京、ERE)の企業連合は、2市町沖にベスタス製の風車を25基建設する予定ですが、経済性の確保に苦しんでおり、国内調達率を高めることで事業採算の安定化につながる可能性があります。
ベスタス社は「風力業界で重要な役割を担う企業との連携を通じて、地域に根差した体制を強化し、エネルギー転換を支える持続可能な風力サプライチェーン(供給網)の構築を目指す」としています。

北羽新報の記事

北羽新報のトップページ

ベスタス wiki

ベスタス社ニュース

<以下は白木個人の意見/感想です>
これは凄いですね。
ベスタス社が日本国内で風車製造を検討することになるとは。
ベスタス社としては、今回の25基で終わりでは無く、以降の需要も継続的に見込める計算でしょうか。

皆様も投稿記事への感想やご意見など何でもご自由にコメントし、コミュニケーションしませんか。

※ この画面を下ヘスクロールするとコメント欄が表れます。
この投稿記事に対して誰でもが何人でも自由にご自分の考えや思ったことをコメントできます。
また、そのコメントに対して誰でもが何人でも自由に返信コメントができます。
投稿記事をテーマにしてコミュニケーションしましょう。

さまざまな体験満喫 八峰町で「白神わんぱく塾」

体験センター主催の「あきた白神わんぱく塾」は1日から1泊2日で開かれ、町内外の小中学生がピザ作りや工作のほか、山へ海へと繰り出し、自然体験をたっぷり楽しみました。
夏休み中の子どもたちが、日本海と白神山地の自然の中で学び、遊び、作る体験を楽しみ、交流する機会を提供しようと実施。
今回は、同町の伝統行事に触れたり、自然や普段はできないことを体験するプログラムが組まれ、町内や秋田市、能代市の小学4年生から中学2年生まで19人が参加しました。
初日の1日は、ピザ作りや白瀑神社例大祭の「みこしの滝浴び」見学、留山散策、貝殻ストラップ作りを楽しみました。
最終日は中浜地区の海岸でシーカヤックを体験しました。

北羽新報の記事

北羽新報のトップページ

<以下は白木個人の意見/感想です>
山あり海あり、伝統行事に触れたり、ピザも作れば工作もする、しかも初めて会う他学年・他校の仲間とコミュニケーションしながら。
なんという理想的な体験学習でしょうか。
私も子供の頃に体験したかったです。
ただ、残念なのは一回の募集人員でキャパが20名なことです。
であれば、もっと何回もできないだろうか。
夏休み期間中と制約はありますが。

皆様も投稿記事への感想やご意見など何でもご自由にコメントし、コミュニケーションしませんか。

※ この画面を下ヘスクロールするとコメント欄が表れます。
この投稿記事に対して誰でもが何人でも自由にご自分の考えや思ったことをコメントできます。
また、そのコメントに対して誰でもが何人でも自由に返信コメントができます。
投稿記事をテーマにしてコミュニケーションしましょう。

[通化事件]金平美智子さん(89)目の前で軍人の命絶たれ 今伝えたい私の記憶(3)

金平美智子さん(89歳) =秋田県山本郡八峰町峰浜

1936年2月に樺太の豊原(現・ユジノサハリンスク)で生まれました。
両親は男鹿市船越の出身です。

小学校1年生の時、男鹿の「船川開拓団」の一員として、両親と6人きょうだいで満州(現中国東北部)に渡りました。
安東省桓仁(かんじん)県の、のどかな田舎町でした。

45年8月15日、小学校にいると、朝鮮人の先生が理由も言わずに「すぐ帰りなさい」と言う。
帰宅すると母に「日本が負けた」と聞かされ、ここにはいられないというので、開拓団で出発しました。
夜中だったように思います。
父は召集されていて不在でした。
最初は現地の人が引く馬車に乗りましたが、途中から歩いて野宿したり、どこかの校舎に泊まったりしました。
ソ連軍の侵攻が始まっていたから、若い女性は髪をそって、顔に泥を塗っていました。

鉱山の街だった通化に落ち着いたのは秋ごろだったでしょうか。
住宅を割り当てられて住みました。
いつ帰国できるか分からず、母や16歳の長兄、14歳の次兄は、現地の人が営む鍛冶屋や農家で働きました。
その後父が船川開拓団を探してたどり着き、再会できました。
でもほとんどの家は男性が戻りませんでした。
〈46年2月3日、旧日本軍の一部が武装蜂起した通化事件が起こる。
中国共産党軍(八路軍)側に鎮圧され、一般市民を含む多くの日本人が殺された。
犠牲者数には資料によって幅があるが、59年の厚生省引揚援護局未帰還調査部のまとめによると約1200人とされる〉

9歳の時でした。
46年2月3日の夜明け、バンバーンと銃撃の音が聞こえた。
凍った窓を拭いて外を見ると、船川開拓団の団長が、下着姿で靴も履かないまま道路の真ん中で八路軍に引っ張られていました。
父が「あっ、団長が連れて行かれた」。
私たちは身支度をするよう言われ、急いで服を着ました。

間もなく八路軍兵士が家に入ってきた。
蜂起した日本の軍人をかくまっているんじゃないかというんです。
「誰もいない」と言っても全ての部屋を開けて回りました。

そして2人の兄が連れて行かれ、別の兵士に父も連行されました。

母とすぐ上の兄、私、弟、妹は外に出されました。
玄関の入り口に板を張られ、釘で打たれたんです。
どこの家もそうでした。
冬は零下20度にもなります。
寒くて寒くて。
母が「夜までこのままでは皆死んでしまう」と言い、私は死ぬのは嫌だと泣きました。

しかし夜になるとまた別の兵士が来て、釘を取って家を開けてくれた。
同じことが何度か続きました。

日本の軍人1人が私たちの家のすぐそばの物置小屋に隠れていたんです。
引っ張り出され、殴られたり、銃剣でたたかれたりして、「うーん、うーん」ってうなりながら私の目の前で息絶えていきました。
汚れた軍服を着た若い人だった。
外でも1人捕まって死ぬまで暴行されているのを見ました。

道路には死体が転がっていた。
とび口で無造作にトラックに積んで運ばれたり、川に捨てられたりしていました。
死んだ後に着物を奪われていた死体もありました。
むごいことをすると思いました。
事件が落ち着いてから、現地の人が「日本人はもっとひどかった」と言っていたことを知りました。

父は4,5日で戻ってきました。
諦めかけていたので、うれしかった。
連行された際、八路軍幹部の馬の調子が悪くなり、父が独学で身に付けていた針治療を施し、何頭か治して釈放されたそうです。

兄たちは1週間以上たって帰ってきました。
げっそりやせていました。

最初は防空壕(ごう)に入れられたそうです。
大勢いる壕に無理やり押し込められて、先に入った人は押されて死んでいく。
2日たつと出されて、煮たコーリャンを食べ、また壕に戻される。
凍った死体の上に立っていたと聞きました。

兄たちは殺される寸前だったと話していました。
ぎりぎりで、八路軍幹部の馬を助けた日本人の息子だと分かり、釈放されたそうです。

喜んだのもつかの間、弟がはしかになった後、寒さで急性肺炎を発症し死んでしまいました。
数えの5歳でした。

間もなくして、隣の家のおばあさんが「孫は満人(現地の中国人)にくれる」って話していたんです。
母親が亡くなり、召集された父親も戻らないため育てられないと。

そしたらうちの母が「私が育てる。秋田に連れて行く」と言ったんです。
9歳と10歳の男の子でした。
少しして、そのおばあさんは亡くなり、周囲の人は「置いていこう」と言ったが、母は渡しませんでした。
〈戦争末期のソ連軍の満州侵攻や戦後の混乱で、開拓移民として入植していた日本人の多くが家族と生き別れた。そのまま中国で「残留孤児」や「残留婦人」となった人が大勢いた〉
ようやく引き揚げ船に乗ったのは46年秋ごろでしょうか。
たくさんいた開拓団も、多くが亡くなりその頃にはだいぶ減っていました。
九州の港に着いて、汽車に乗って上野駅まで来たんです。

そしたら私の実家の名前を呼ぶ男性がいる。
「米屋さんいませんか!」。
その人、男の子たちの父親だったんです。
船川開拓団の行く先を調べて探したんでしょう。
そこで親子が再会できたんです。

その後、男の子が成人して実家を訪ねてきてくれたそうです。
「あの時連れてきてくれてよかった」と、すごく感激していたと聞きました。

本当に恐ろしい目に遭いました。
通化事件を経験した人はもうほとんどいないでしょう。
こんな悲惨なこと、二度とあってはなりません。

秋田魁新報の記事

秋田魁新報のトップページ

通化事件

<以下は白木個人の意見/感想です>
通化事件は日本人が虐殺など被害を受けた事件として知られていますが、その前に日本側が酷いことをさんざんやったために、仕返しされたようです。
戦争とは兵士の銃弾による戦いだけでは無く、何の罪もない一般市民も悲惨な戦いに巻き込まれていきます。
核戦争だけで無く、国対国の戦争自体を無くさなければならないですね。
全地球人民は、国家による徴兵命令を拒否できる権利が基本的人権として保障されるようにはならないものだろうか。
戦争しようにも成り立たないように。
問題は、誰が?どこの組織が?その権利を保障するのか、保障できるのか、ですよね。
宇宙最強兵器を持つエイリアンを期待するしかないのだろうか。

皆様も投稿記事への感想やご意見など何でもご自由にコメントし、コミュニケーションしませんか。

※ この画面を下ヘスクロールするとコメント欄が表れます。
この投稿記事に対して誰でもが何人でも自由にご自分の考えや思ったことをコメントできます。
また、そのコメントに対して誰でもが何人でも自由に返信コメントができます。

ブナの森に津軽三味線響く 八峰・留山で「森の音物語」コンサート

八峰町八森の留山で音楽を鑑賞するイベント「留山 森の音(ね)物語2025」は10日に開かれました。
参加者は緑濃きブナ林を散策したり、林間に響く津軽三味線の音色に耳を傾けたりと、白神の森を会場にしたコンサートを堪能しました。
「森の音物語」は白神山地世界自然遺産登録30周年記念事業として、関係団体が実行委員会を組織して令和5年に初めて開催。
昨年からは白神ネイチャー協会の主催事業となり、今年は8月、9月の2回計画しました。
「山の日」(8月11日)に合わせて開催したこの日の「第一章」には、由利本荘市や能代市、町内から参加した一般7人やポランティアスタッフなどを含め17人が参加。
八峰町八森出身の佐藤信子さん(64歳)=秋田市=が津軽三味線を演奏しました。
第二章は9月14日で、久保田朋子さん(能代市)のピアノとリコーダー演奏を聴きます。

北羽新報の記事

北羽新報のトップページ

八峰町ふるさとPR大使さんのインスタ投稿

<以下は白木個人の意見/感想です>
留山というぶな林の中で素晴らしい生演奏が聴けるのは、素晴らしいですね。
私も帰省のタイミングが合えば是非一度体験してみたいです。

皆様も投稿記事への感想やご意見など何でもご自由にコメントし、コミュニケーションしませんか。

※ この画面を下ヘスクロールするとコメント欄が表れます。
この投稿記事に対して誰でもが何人でも自由にご自分の考えや思ったことをコメントできます。
また、そのコメントに対して誰でもが何人でも自由に返信コメントに対して誰でもが何人でも自由に返信コメントができます。
投稿記事をテーマにしてコミュニケーションしましょう。

光の大輪1200発、夜空と日本海照らす 八峰花火フェス

「八峰花火フェス2025」は10日、八峰町八森の中浜海岸で開かれました。
約1200発の花火が日本海に浮かぶ雄島や海面を照らし出し、地域住民ら大勢の客は夜空をキャンパスに繰り広げられる色鮮やかな光のショーを堪能しました。
同町では、旧八森町時代の昭和62年から雄島花火大会が開かれていましたが、令和5年夏を最後に終了。
惜しむ声が町民から上がり、「雄島の花火」を引き継ぎつつ、夏の一大イベントとして地域活性化を図ろうと、白神八峰商工会青年部が中心となって新たな実行委員会を組織し、昨年8月に同フェス開催を初開催した。
2年目の今年は、男鹿なまはげ太鼓の迫力ある演奏に続いて午後8時に花火の打ち上げがスタート。
「日本海に轟(とどろ)く祭り太鼓」と題するスターマインを皮切りに約40分間、計23のプログラムが披露されました。

北羽新報の記事

北羽新報のトップページ

ABS秋田放送
「一度閉幕した花火大会を継承 八峰町の夜空に大輪1200発」

AAB秋田朝日放送
「伝統の花火大会を受け継ぎ『八峰花火フェス』開催」

<以下は白木個人の意見/感想です>
花火大会主催者様、関係スタッフの皆様、企画から協力団体/グループとの折衝や当日の会場準備、大会運営、後片付けまで、本当に大変お疲れ様でした。
お陰様で、町の将来を背負って立つ子供らに、確かに大きな素晴らしい夢を与えられたと思います。
ありがとうございました。

上掲YouTube動画の通り、ABS秋田放送、AAB秋田朝日放送とも予定通り、放送されました。
それぞれが花火大会が途絶えそうになった歴史を含めて、町の若者の頑張りを紹介しており、とても良い内容だと思いました。
県内へのアピール度は大きかったのではないでしょうか。
来年以降が期待大ですね。

ところで、全国放送の羽鳥慎一モーニングショーでは放送されたのだろうか?
8/11は線状降水帯の大雨のニュースで押し出されたようですが、その後放送されたのか確認できていません。
インターネットのTVerによる無料配信でも、8/16 19時時点でも羽鳥慎一モーニングショーは8/12の番組までしか掲載がなく、8/12の番組には花火はありませんでした。
もし、放送されていれば、全国放送なので県外からのインバウンドも期待できるのですが。

皆様も投稿記事への感想やご意見など何でもご自由にコメントし、コミュニケーションしませんか。

※ この画面を下ヘスクロールするとコメント欄が表れます。
この投稿記事に対して誰でもが何人でも自由にご自分の考えや思ったことをコメントできます。
また、そのコメントに対して誰でもが何人でも自由に返信コメントができます。
投稿記事をテーマにしてコミュニケーションしましょう。