廃刊となった秋田県広報誌「あきた」による郷里紹介です。
ある近隣ふるさと会の方が資料を送ってくれました。
旧八森町と旧峰浜村の紹介記事が過去3回づつ出ています。
■旧八森町
・あきた(通巻3号)1962年(昭和37年)
・あきた(通巻17号)1976年(昭和51年)
・あきた(通巻277号)1985年(昭和60年)
■旧峰浜村
・あきた(通巻36号)1965年(昭和40年)
・あきた(通巻110号)1971年(昭和46年)
・あきた(通巻251号)1983年(昭和58年)
それぞれとても興味深い記事です。
是非ご覧ください。
■旧八森町
八森の由来、岩館の由来が書かれています。
■旧峰浜村
エセ子沼はまだあるんだろうか。
※ 下記らんでさんのコメントにあるように、沼を見に行くのはいいですが、迷惑になるので実家へは決して行かないようにお願いいたします。
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こんにちは白木さん。
今回エセ子沼の位置を調べたのですが、注意して欲しいことがあるのです。
調査の途中で、エセ子の実家にお邪魔したり、お話を聞いたり、糸を結んだ梅の木(の後継の木)の写真を撮らせていただいたりしたのですが、どうも家主はそれが広がるのをあまり望んでいない雰囲気を感じました。むしろ迷惑そうな顔をしていました。
したがって、その実家のことは Wikipedia に記述しませんでした。もしもこれを読んだ方が訪ねるにしても、沼の方だけにして欲しいと思っているのです。
それでは。
らんでさんへ
HP管理人 白木です。
承知いたしました。沼だけにいたします。
と言うか、エセ子沼の話って、あくまで昔の伝説であって、エセ子も沼も梅の木も実在するものとは思ってもみませんでした。
峰浜の住民にとっては、これらが実在することや実家までほとんど常識的に知られているのでしょうか。
もし、そうだとしたら、これは伝説では無いですね。
とても悲しい事件だったんですね。
記事へ注意書きを追加いたします。
エセ子沼の場所を特定して、 Wikipedia に記述しました。
近隣には現在沢山の沼があります。しかし、証言してくれた人の内容と、「あきた」の記事、昔の地形図からするとその沼しか候補は無いと思います。
らんでさんへ
HP管理人の白木です。
コメントありがとうございます。
エセ子沼の場所を特定してのWikiPedia登録もありがとうございました。
Wikipedia エセ子沼
この沼がエセ子沼なんですね。
次回帰省したら、必ず立ち寄って伝説に浸ってみたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。