「もう終わりだよ」人口減を嘆く声 絶望のなかにこそある「希望」探して

「もう終わりだよこの県」
、「消滅しちゃうよ」
、「もう地元終わってるよ」
今月24日、秋田県の人口が90万人割れを目前にしているというニュースを秋田魁新報が報じると、SNS上の記事にこんなコメントが並んだ。
2日で記事の表示は8万回に達し、直近1週間の記事で最も多かった。
秋田の人口は、5年に1回の国勢調査で2000年から5回連続、減少率が全国最大。
全国47都道府県のなかで最も速いペースで人口減少が進む。
人口減を嘆く声があちらこちらで、ことあるごとに聞かれる。
そういう秋田であることは否定できない。
島根大教授として昭和期の農村の荒廃について研究を重ねた安達生恒(いくつね)=1918~2000年=は、著書「“むら”と人間の崩壊」(三一書房)のなかで、一片の作文を紹介している。
島根県弥栄(やさか)村(現浜田市)で1967年に住民意識調査を行った際、中学生に「村の将来について思うこと」と題して書いてもらった作文からの引用だ。
「この村では里山を開けばタバコも牛も増やせるのに、役場もそれをやろうとしないし、親たちもすっかりあきらめている。だから僕はこの村はつまらないと思う。つまらない村だから、卒業後は大阪に出る。おそらく村に帰ることはないだろう。」
弥栄村は当時人口約3,200人の山村で、1960年から65年にかけた人口減少率が25%に上っていた。
同様の作文が何通もあったと安達は記し、過疎問題を考える際には「こうした住民意識の後退」を重視しなければならないと説いた。
現在の浜田市弥栄地区は、高齢化率が5割を超える。
本連載の後半、秋田や「地方」の今後を考える「展望編」では、県内外さまざまな挑戦の姿を見てきた。
まだないしごとを興す起業家。
地域の触媒として人と人を結ぶ自治体職員や地方議員。
現場の声や課題に向き合い変革を起こすリーダーたち。
そして、若者に選ばれ続けるまちを目指す島。
人口減少という下り坂にあってなお、にぎやかさや活気を地域に生む彼らの姿は、未来への希望を感じさせるものだった。
しかしその一方で、あきらめ、あるいは絶望といっていい声が人口減という社会現象の周辺に根深いのも事実である。
「でも、希望という言葉は本当に過酷な状況を受け止めて、それでも明日に向かって生きていこうとするときに、にじみ出てくるものなんじゃないかなと思う」。
そう語るのは、東大教授の玄田有史=ゆうじ=(59歳)。
2000年代初めから「希望学」を研究してきた経済学者だ。
絶望のなかにこそ、希望がある。
玄田が著作や講演でそう説くときに紹介するエピソードが二つある。
「希望」という言葉と関連の深い歴史的なできごとを過去の新聞記事から調べたとき、登場頻度の多い事象の一つが「水俣」だった。

産業構造の変化による人口減少を早くから経験してきた岩手県釜石市で、ある副社長がこんなことを言った。
「棚ぼたというのはない。動いて、もがいているうちに何かに突き当たる」

「『希望があれば救われる』というよりはむしろ、挫折や試練を生きてきた人が希望を持つ。
なんとかしてこの困難な状況を抜け出したいと心の底から思ったときに、人は希望を持つようなんですね。」
◇  ◇
八峰町にある山本酒造店の社長、山本友文(54歳)はかつて、倒産を目前にあえいでいた。
都内の音楽プロダクションで働いていた2002年、経営不振に陥った家業の酒蔵を継ぐため帰郷。
日本酒の消費量が全国的に落ち込むなか、酒づくりを担う杜氏(とうじ)を雇用できない状況にまで追い込まれた。
廃業も視野に入る。
考え抜いた末に一手を打った。
山本自らが蔵に入り、酒造りを担うという奇手だった。
当時まだ珍しいこのやり方で造った酒を名字の「山本」という名で売り出すと、周囲から励ましや応援の声が寄せられ、多くの酒販店が協力。
数年がかりで人気ブランドにのし上がり、経営を立て直した。
「あのころは寝る間もなく働いていて、記憶もないぐらい。ただ、会社をつぶしてしまい子どもたちの将来をつぶすわけにはいかないと、がむしゃらだった。初めて自分で酒造りをした年、たくさん造った酒のなかに奇跡的にいいでき具合の酒があった。そのとき、希望を感じた。」。
どん底でもがいていた20年ほど前を、山本はそう振り返る。
◇  ◇
玄田は2010年の著書「希望のつくり方」(岩波新書)にこう記している。
「希望は自分で探し、自分でつくっていくものです。
与えられた希望は、本当の希望ではないのです。」
絶望のなかにこそ希望があり、その希望を探し、つくり出すのが自分自身なのだとすれば、われわれはいたずらな悲観論や冷笑主義に陥っている場合ではない。
いやむしろ、人口減少にあえぐ秋田だからこその希望が、足元にあるはずだ。

秋田魁新報の記事

秋田魁新報のトップページ

<以下は白木個人の意見/感想です>
「でも、希望という言葉は本当に過酷な状況を受け止めて、それでも明日に向かって生きていこうとするときに、にじみ出てくるものなんじゃないかなと思う。」

「希望は自分で探し、自分でつくっていくものです。与えられた希望は、本当の希望ではないのです。」

絶望のなかにこそ希望があり、その希望を探し、つくり出すのが自分自身なのだとすれば、われわれはいたずらな悲観論や冷笑主義に陥っている場合ではない。
いやむしろ、人口減少にあえぐ秋田だからこその希望が、足元にあるはずだ。

それは充分分かっているけど、成功が保証されたものでは無いし、家族の生活が懸かっているとチャレンジするのも・・・。
至極分かります。
だから他人が「やってみたら」とは中々言えないのです。
公的な補助金や銀行からの融資など資金確保の苦労も並大抵では無いでしょう。
結局、そのリスクにチャレンジする覚悟を持つ者がどれだけいるか、なんだと思います。
それでも、「頑張ったから成功」の保証はありません。
本では恐らく成功例しか書かないと思います。
失敗した者、夢破れた者は莫大な借金を抱えてどうなったのか・・・。
これはいたずらな悲観論だろうか。

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