三種町山本中で4日、教科横断的な学びで題を発見・解決する力を育む「STEAM教育」に関するブログラミング授業が行われました。
町内3中学校が統合して開校する三種中のL8年度開校を見据えたもので、生徒がプログラミングを実践し、活用方法などに理解を深めました。
STEAM教育は、教科の枠にとらわれずに創造性や発想力などを生かして課題解決につなげるもの。
同町では、現在ある3中学校を統合して8年度開校予定の三種中に「STEAMプラザ」を設けるなど、生徒の学びが充実するように新たな学校施設の整備を進めています。
プログラミング授業は町教育委員会の主催で、講師は昨年度まで県立大に在籍していた高田短大(津市)教授の庭田千明さん。
4、5両日で計6時間計画し、このうち4日は1年生20人が受講しました。
<以下は白木個人の意見/感想です>
「STEAM教育」とは蒸気教育ではありません。
下記5つの頭文字を組み合わせた造語です。
・Science…科学
・Technology…技術
・Engineering…工学
・Art…芸術/教養
・Mathematics…数学
これら5つの領域を重視し、盛り込んだ教育方針のことを意味しています。
このようなSTEAM教育が何故必要になったのか、は上記「STEAM教育とは」リンクをお読みください。
その一つとしてのプログラミングは、物事を理論的に分析するのにとても重要だと思います。
度々、私事で申し訳ございません。
私とプログラミングの関わりの歴史を少し語らせてください。
以下、とても長文なので、ご興味無かったら飛ばしてください。
約50年前、私が大学の工学部の4年生頃は、ホストコンピュータでFORTRAN言語で建物や機械構造物の強度計算して設計していました。
これが、私の初めてのプログラミングとの関わりでした。
しかし、学生による計算待ちの列は凄く長く、日々何度も並ぶのに辟易していました。
ちょうどその頃に、プログラマブル電卓が世に出ました。
当時日本には四則演算ができる電卓しかありませんでした。
もちろん、計算スピードはホストコンピュータには全然敵いません。
でも、今プログラムの何行目を実行しているのかが目で追えるぐらい遅かったのです。
これは、精神的な健康にはとても良かったと思います。
更に、並ばずに日に何回でも気軽に計算できたのです。
これは、革命的、衝撃的な商品でした。
米国Hewlett-Packard(ヒューレット・パッカード)社のHP-29Cという手の平に乗る超小型でありながらプログラミングが出来る電卓として、驚異的な商品でした。
参考までに、HP41Cはそれまでアポロ宇宙飛行士が胸に差して宇宙まで持って行った計算尺を完全に駆逐したプログラマブル電卓でした。
当時、卒論で二足歩行ロボットの設計制作を行う上で、どうしても欲しくてたまりませんでした。
しかし、価格は超高額。
とても、実家に話して仕送りしてもらえる金額ではありませんでした。
そこで、64回ローン+夏冬のバイト代全てを注ぎ込んで、清水の舞台から飛び降りるつもりで買ったのです。
お陰様で、卒論は期限内に完成し、身長2mを超える油圧制御の二足歩行ロボットが完成しました。
もちろん、私一人の力ではありません。
次の5つの班がありました。
・歩行理論班
・油圧制御班
・機械構造班
・センサー班
・マイコン制御班
一班1,2名でした。
当時は8bitマイコンが初めて販売された時期で、頭脳としての活用を目指していました。
私は、機械構造班として、ロボットの機構設計、強度計算、旋盤/フライス盤/溶接での制作を担当していました。
この時期に書きたいことは山ほどありますが、長くなるので書きません。
が、一つだけ書かせていただくなら、歩行理論を見出した、ということです。
ロボットの歩行は、静的な歩行では無く、動的な歩行を目指していました。
静的な歩行というのは、おもちゃのロボットのように足が極端に広くて片足で立っていても絶対に重心が足から外へ出ないので倒れないのです。
一方動的歩行とは、人間の歩行です。
一歩足を前に振り上げることにより、重心が安定領域から前に外れてしまい、それによる前に倒れ込む力を利用して前に進むのです。
つまり、これは不安定を利用した歩行です。
しかし、不安定とは機械で制御困難なのです。
この矛盾した超難しいことを人間は毎回簡単にこなしています。
この問題をどうやって解決したのかは、書くとまた長文になるので詳しくは書きませんが、各関節の角度制御をアクティブ制御だけでは無く、受動制御も取り入れたのでした。
済みません。主旨から大分外れてしまいました。
プログラマブル電卓のプログラミング言語は「RPN言語」でした。
RPNとは、逆ポーランド記法(Reverse Polish Notation)と言って、もの凄く分かりやすい記法でした。
むしろ和式記法と呼んでも良いと思えるほどでした。
大学を卒業して会社へ入社した頃は、マイコンから8bitパソコンが出始め、BASIC言語が広まりました。
BASIC言語もとても分かり易い言語でした。
プログラミング初心者には最適だと思いました。
そして、ここでもう一つ重要なことを学びました。
それはフローチャートです。
要するに、物事をどういう順番で進めるのか、を頭で考えることです。
これは、自分が普段考えていることを分解して順番も正しくフローチャートへ書き表すのです。
BASIC言語ができるようになると、やたらと自分の周りのものをプログラミングしたくなり、当時入っていた会社の寮の飲み物管理や、会社の先輩のハム通信管理簿等々作っていました。
ハム通信管理簿は今で言うデータベースなのですが、当時データベースなどと言うアプリケーションは存在していませんでした。
だから、ディスクのどの位置へ書き込むのか、どの位置から読み込むのか、など全て計算してアクセスするランダムアクセス・データベースを構築していたし、画面のカーソルのブリンキング(点滅)さえ何秒表示して何行消すのかも全て計算して表示させるという、物凄く原始的なことをやっていました。
そんな訳でプログラムはBASIC言語でも千行を遥かに超えるものになってしまい、当時アパートで夜に帰宅してプログラムを印刷していると、壁をドンドンされてしまいました。
当時のプリンターはドットマトリックスプリンターといって、小さな金属ワイアで鉄板を叩く方式だったので、ジージーとメッチャうるさかったのです。
更に、ちょうどその頃は、会社の業務にパソコンが導入され始めた黎明期でした。
といっても、まだ具体的に何に活用できるのか分からない状況で、手探り状態でした。
私は個人的にBASIC言語をやっていたので、まずは日本語辞書を手入力して日本語ワープロを作りました。
次に機械設計者である自分の本業に活かそうと思い、当時手作業で約2日掛かっていた作業を5分でリスト出力するプログラムを作りました。
5分は主にリストの印刷時間であり、画面への出力は1,2秒でした。
このプログラムは既にあるデータを単にリスト化して出力した訳では無く、いくつもある業務ルールをプログラミングで表現し、プログラムに自動判断させてリストを生成していました。
この話は瞬く間に同じ業界内に広がり(恐らく協力会社さん経由)、こっそりライバル他社からスカウトもされましたが、人間関係が気に入っていたので全て断りました。
ことほど左様に、対象とする物事をフローチャートへ落とせる力、そこから更にそのフローチャートに基づいてプログラへ落とせる力は、何をするにしても基礎となる能力の一つだと思うのです。
STEAM教育は是非我が町の小学校でも早急に導入していただきたいと思います。
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