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能代山本各地で1日、登山が行われました。
八峰町の真瀬山の会(伊勢均会長)は、同町八森の糠森山(標高208m)で恒例の元旦登山を実施。
冷たい風に吹かれながら山頂に立ち、新年のスタートを切りました。
町内外から約20人が参加。
保育園児や小学生も山頂を目指しました。
1日午前は日差しが届いたが、大みそか夜からの荒天による積雪が深く、参加者は雪を踏みしめながら歩みを進めました。
頂上には社と鳥居があり、地元有志でつくる「ぬかもり会」から預かった正月飾りを取り付けたほか、社に鏡餅を供えました。
山頂に強い風が吹きつけたが、日差しが届き、日本海の景色を望みました。
また、新年の平和と健康を祈願して万歳三唱したり、記念写真に収まったりしました。
糠森山への元旦登山
<以下は白木個人の意見/感想です>
寒さと強風の大変なお天気の中の元旦登山、大変お疲れ様でした。
一時的にでも日が差して日本海の絶景が観られて良かったです。
そして、何より全員無事に下山できて本当に良かったです。
私はここ数年は全く登山できていません。
昨年7月末で完全退職(70歳)したので、今年はウオーキングの合間に登山も何回かはやってみようと思っています。
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第5回全国U15バスケットボール選手権大会(京王ジュニアウインターカップ)は、4日に東京都の武蔵野の森総合スポーツプラザで開幕する。
本県代表は、男子の「RCSクラブ」に能代二中3年の岸部瑛大、大山龍之介、泉徹平の3選手、「秋田ノーザンハピネッツU15女子」に八峰中1年の柴田杏奈がメンバー入りしている。
日本バスケットボール協会の主催。
各都道府県予選を勝ち抜くなどした男女各52チームが出場し、8日までトーナメント戦を行う。
男子のRCSクの初戦は5日。
2回戦から登場し、琉球ゴールデンキングスU15(沖縄)一倉敷市立南中(岡山)の勝者と対
戦。
ハピネッツU15女子は、4日の1回戦でDinosaurs(福井)とぶつかる。
<以下は白木個人の意見/感想です>
「秋田ノーザンハピネッツU15女子」に八峰中1年の柴田杏奈さんがメンバー入りしているのは嬉しいですね。
かつて高校バスケと言えば、能代工業(現 能代科学技術高校)でした。
インターハイ、国体、ウインターカップでの通算50回の全国優勝と9冠(3年連続3冠)など、あまりもの輝かしい戦績は唯一無二でした。
「今の時代では無理」なのが、残念至極ですが、「RCSクラブ」も「秋田ノーザンハピネッツU15」も新時代の伝説作りへチャレンジしていただきたいと思います。
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八峰町の漁師らでつくる「八水」(菊地陽一社長)は、今季も同町の岩館漁港でトラウトサーモン「輝(かがやき)サーモン」の養殖を行います。
4季目の今回の養殖数は昨季と同じ1,500匹で、11日に始める予定。
今季は季節(沿岸)ハタハタ漁の遅れに伴い、例年12月下旬の開始時期からずれ込む。
菊地社長(45歳)は「生存率80%以上を目指して頑張りたい。」と意気込みを語る。
サーモンの養殖事業は、ハタハタの漁獲量減少などを受けて漁師の安定した収入確保や雇用創出を目指す「育てる漁業」の試み。
3年12月に県から委託されて県内初の取り組みとして始まり、2季目の4年からは八水の事業として県や町の補助金を活用して行われている。
<以下は白木個人の意見/感想です>
4季目の今回の養殖数は昨季と同じ1,500匹、と言うのは、施設の限界ということでしょうか。
2023年8月に帰省した時に輝サーモンが入った「どはち丼」を凄く楽しみにしていたのですが、「この時期はもう養殖は終わっているので輝サーモンは無い」と言われてショックでした。
通年味わえるようにするのは、不可能なんだろうか。
量を増やして冷凍保存するのはダメなんだろうか。
そりゃ生の方が美味しいのだろうけど、冷凍保存技術も年々進歩しています。
セキトの「CAS志んこ」は宅配できるようになりました。
ご検討いただけると嬉しいです。
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秋田魁新報くらし欄の読者投稿コラム「えんぴつ四季」は今年、前身のコーナーが始まった1956年から70年目を迎えた。
暮らしの中で感じたり、考えたりしたことを表現する場として長年親しまれてきた。
常連の人や高齢になって挑戦した人たちに、文章に込めた思いを聞いた。
三輪文子さん(89)八峰町八森
読者同士、心寄せ合う

「書くことが生きがい」と話す三輪さん=八峰町の自宅
投稿を続けて60年。
前身のコーナーも含め、掲載は約200回に上る。
本欄を「読者が互いに励まし、励まされる場所」と話す。
それはまるで見知らぬ誰かと交換日記をするように。
幼い頃から文章を書くのが好きだったが、実家が貧しく、中学校の途中で奉公に出された。
学ぶ機会に恵まれず、病院の調理員として働いていた20代前半、空いた時間に院内にあった新聞を読みながら漢字や言葉を覚えた。
25歳で漁師の敬次さん(故人)と結婚した。
初投稿は30歳。
お手伝いさんの仕事に苦労しているという女性の投稿を読んだのがきっかけだ。
黙っていられず筆を執り、「希望を持って」と呼びかけた。
それからは日々の思いをつづってきた。
家事や子育て、仕事が忙しくても書くことは苦にならなかった。
漁へ出る夫と共に未明に起きて書くことも。
「書きたいという気持ちが常に湧いてくる。生きがいだと思う。」
掲載された文章は全て切り抜いてある。
1983年の日本海中部地震では津波で自宅1階が全壊したが、切り抜き帳は奇跡的に無事だった。
還暦を迎えた年、「防波堤の四季」と題して一冊に。
いつも投稿を楽しみにしてくれている知人たちに配った。
文章を書くのは生活の一部。
午前に家事をこなし、午後ゆっくり新聞を読んで原稿に向かう。
最近は手が震えることもあり頻度は減ったが、昨年「今も残る記憶」のタイトルで投稿した。
2023年夏の記録的大雨で被災した人の文章を読み、エールを届けたいと自らの被災経験に触れながらこの先の平穏を祈った。
「大変そうな人がいれば、背中を押して元気に、笑顔にしたい。文章を書いて思いを伝えられるというのは幸せなこと。」。
これからも、誰かの心に寄り添うような文章を届けたいと願う。
柳原夕子さん(41)美郷町金沢
家族との思い出刻む
子どもたちとパソコン画面を眺める柳原さん(中央)。後ろは母・藤原裕子さん=美郷町の自宅
ノートパソコンに向かうのは子どもたちが寝静まった夜。
思っていることや気になるフレーズを書き留める。
そして、「書きたい」となった時、一気に執筆。
その後数日かけて練り上げるという。
家業を手伝いながら、教育関係の仕事にも携わっている。
「慌ただしい日常だけど、時に立ち止まって思いを形に残しておきたい」と、5年半前に投稿を始めた。
一文は短く、分かりやすく書くことを心がける。
最適な言葉を考えるうち、思考が整理され、心が晴れることもあるという。
印象深い投稿は、昨年掲載された「両親への手紙」。
いつも応援してくれる両親に、尊敬と感謝の気持ちをつづった。
母の藤原裕子さん(69歳)は「知らなかったので、紙面を見てとにかくびっくりしました。
周囲から『自慢の娘さんだね』なんて言われたりして。」と目を潤ませる。
小学6年から6歳まで1男2女を育児中。
子育てがテーマの投稿も多い。
「子どもの前では日々『鬼母』。書いて反省するけれど、なかなか変えられません。」と笑う。
掲載紙は子どもとの「思い出ボックス」に納める。
「読み返して恥ずかしくなることもあるけど、あの時はこう思ったという証しでもあります。いつか大きくなった子どもたちと一緒に読みたいです。」。
金平保夫さん(94)八峰町峰浜
推敲の楽しさ刺激に

米寿で投稿を始めた金平さん(右)と妻の美智子さん。「原稿は必ず妻にチェックしてもらう」と金平さん=八峰町の自宅
米寿で投稿を始めた。
穏やかな筆致で、日常の出来事をユーモラスにつづる。
鉛筆で下書きし、パソコンで練ってから妻・美智子さん(88歳)に目を通してもらう。
「いかに簡潔に思いを伝えられるか、推敲(すいこう)するのが楽しい。」
能代工業高校時代に作文の奥深さにはまった。
「国語の先生に添削されると、分かりやすくなった。文章の難しさを知った。」。
文芸部をつくり、仲間と創作に取り組んだ。
専業農家の頃は地元の農業団体や自治会の役員も務め、筆を持てなかった。
86歳で引退した後、えんぴつ四季に同じ町の女性の名を見つけて奮起。
2019年に初めて投稿した。
孫のために禁煙しようと、たばこ状に巻いた昆布をくわえ、無事たばこと縁を切ったことをつづった。
掲載となり「自分の文が活字になるなんて信じられなかった。」。
旧満州(中国東北部)から引き揚げた妻と、学徒動員で軍需工場に行った自分が「戦争と新型コロナ、どっちが怖い」と話し合った投稿は、教員をしている孫が授業で取り上げてくれたという。
今も畑作業に精を出すが、冬場は机に向かう時間が増える。
「文章を書くことと、掲載されるまでの緊張感は老化防止に役立っているかも。今後も生活の中に話題を探していきたい。」。
<以下は白木個人の意見/感想です>
皆さん大変な時代/環境を過ごされてきたんですね。
それでも、書くことは諦めなかったのは本当に凄いと思います。
私なんか爪垢を煎じて飲まなければならないですね。
是非、今後とも元気に書き続けていただきたいと思います。
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能代高(平川研校長)は今年、100周年の節目を迎えます。
同窓会やPTA関係者らで組織する記念事業実行委員会(実行委員長・山本達行同窓会長)は、10月10日に式典や記念講演会などを行うほか、5、6月には硬式、軟式野球部の記念試合を計画。
関係者にとっては、同校の歴史や伝統を振り返り、さらなる発展への誓いを新たにする年になりそうです。
同校は県内5番目の旧制中学として大正14年4月6日、県立能代中学校として創立。
昭和28年4月に現校名へと改称しました。
校訓「至誠力行」、校是「文武両道」を掲げ、能代地区の進学校として国公立大や私立大など幅広い進学ニーズに応えているほか、活発な部活動も特色。
令和5年3月までの卒業生総数は2万3238人。
<以下は白木個人の意見/感想です>
南高は100周年でしたか。
私も1人/2万3238人として、とれも誇りに思います。
しかし、校訓「至誠力行」、校是「文武両道」に恥ずかしく無い生き方だったを問われると・・・。
今年は能代高校東京同窓会へ初参加してみようと思います。
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八森漁港(秋田県八峰町)の第五漁豊丸は29日、今季の季節ハタハタ漁を終えた。
20キロを水揚げした26日がピークだったが、その後は次第に数が減り、雄の割合が高くなっていた。
最終日、漁場から戻った漁師・庄内章さん(68歳)は「なんもいねぐなった。」と一言。
網には十数匹しかかかっていなかった。
船着き場に集まった手伝いの人や家族らは言葉がなくとも「きょうで終わりだ。」という雰囲気を察したようだった。
いつものように網から魚を外し、選別作業を終えると、1カ月以上網を揚げ続けた作業場を撤収した。
庄内さんは最後に「みなさん今年もありがとうございました。また来年もよろしくお願いします。」とあいさつ。
いつもと変わらない口調だったが、帽子を取って深々と頭を下げる姿や表情は、歴史的不漁を受け入れる覚悟を感じさせた。
<以下は白木個人の意見/感想です>
「歴史的不漁を受け入れる覚悟」があれば、なんでも出来ます!
記事「ハタハタ漁獲量、過去最低か 秋田県13.9トン、昨季の1割」のコメントへ書きましたが、産卵藻礁の育成や種苗放流(育苗放流)など人間側が可能な取り組みを継続するのです。
どうだろうか。
やってみる価値はあると思います。
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八峰町峰浜水沢のJR五能線沢目駅周辺で、地域の活性化を目指したリノベーショ
ンが計画されています。
住民が交流したり楽しめたりする場が欲しいと、住民有志が「サワメデサワゲ(仮)~八峰町でリノベーションまちづくり~」と題したプロジェクトを立ち上げました。
今後本格的にプロジェクトを進める方針で、今年中にまずは施設1カ所を整備したい考え。
中心になって活動している川村忠寛さん(41歳)=峰浜田中=は「たくさんの人が集まって交流できる空間をつくりたい。」と話しています。
<以下は白木個人の意見/感想です>
これはいいですね。
自分らに必要な環境は自分らで作る!
住民が交流したり楽しめたりする場は、既存の公民館とは異なるのでしょうか。
公民館じゃ騒げない?
ガンガン進めていただきたいと思います。
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八峰町公民館主催の「チビッコ公民館」は26日、同町峰浜田中の峰栄館で開かれ、
町内の小学4年生が二十歳の自分に完てた手紙を書いたり、かるた遊びを楽しんだり
しました。
児童が将来の自分宛てに手紙をくのは、同町の恒例行事。
この日は八森、峰浜小学校から10歳に当たる小学4年生16人が参加しました。
子どもたちは「10年後の自分へ」をテーマに、将来就きたい仕事や二十歳の自分に向けたメッセージを書きました。
将来の仕事には「プロ野球選手」「美容師」「発明家」「ユーチューバー」などと思い描いている職業を書き、「元気にしていますか」「恋人はできてますか」といったメッセージをしたためました。
<以下は白木個人の意見/感想です>
未来の自分へ手紙を書くのは、なんか怖いですね。
夢に向かって怠けてはいけないようで・・・。
10年後に言い訳を書かなくてはいけないようで。
そもそもがこのようなマイナスな気持ちがダメなんでしょうね。
夢に向かって突き進む純真な気持ちが必要なんだと思います。
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沿岸と沖合を合わせた今季のハタハタ漁の漁獲量は13.9トン(27日時点)で、禁漁明けの1995年以降最低だった昨季の同時期(108トン)と比べ、1割程度にとどまっている。
秋田県に記録が残る52年以降で最少だったのは91年の71トン。
県は、今季の漁獲量がこれを下回り、過去最低となることが確実とみている。
県の資料によると、沖合と沿岸を合わせた漁獲量は52年の836トンから年々増加し、66年に2万607トンとピークを迎えた。
その後、76年から急速に減少し、資源回復のため92年から3年間、禁漁に取り組んだ。
禁漁明け以降は回復傾向にあったが、再び減少に転じ、昨季は111トンだった。
県漁業協同組合と県水産振興センターによると、今季の季節ハタハタの漁獲量は、27日時点で計2.1トン。
支所別の内訳は北部(八峰町)0.8トン、中央北(男鹿市北浦)1.3トン、南部(にかほ市)0.8キロ。
中央南(男鹿市船川港)はゼロだった。
昨季は季節ハタハタだけで約93トンだったが、今季はわずか2%ほどにとどまっている。
初漁日は12月15日で、禁漁明け以降最も遅かった。
既に季節ハタハタ漁を終えた地域もあることから、今後漁獲量が大きく増えることはないとみられる。
沖合ハタハタ漁は27日時点で計約11.8トン。
昨季は18トンで6割程度にとどまっている。
支所別は北部3.4トン、中央南4.4トン、南部4トン。
男鹿市北浦地区は昨季、全県で取れた季節ハタハタの5割超を占める51トンの水揚げがあったが、今季は1トン余りで漁を終えた。
同地区の漁師(67歳)は「まとまった水揚げの日が続かず、今年は本当に異常だ。人件費や船の修理費などで初めて赤字になりそうだ。」と肩を落とす。
にかほ市平沢地区では25日の水揚げがわずか11匹(800グラム)だった。
県漁協南部支所の宮崎仁志業務課長は「ハタハタ漁は漁業としてはもう成り立たなくなっている。漁の在り方自体を見直すべき時が来ている。」と指摘する。
八峰町岩館漁港の漁師千葉北斗さん(39歳)は今季、季節ハタハタの水揚げがないまま25日に漁を終えた。
「昨年も沖合で小さいハタハタが減っているのを感じたが、今年はそれがより顕著だった。来年は今年よりもひどくならないか心配だ。」と不安を募らせる。
県水産振興センターは、ハタハタの漁獲量には周期性があり、現在は資源量の「最も低い水準期」とみている。
これに加え、冬季や春季の海水温が上昇傾向にあり、ハタハタの接岸行動や仔魚(しぎょ)の生存に悪影響を及ぼし、記録的不漁となっている可能性があるという。
担当者は「魚群の接岸時期が遅いのか、本当に接岸する個体数が少なかったのかは今後の卵塊調査を通じて、明らかにしたい。」とした。
来季の見通しについては「今季は1歳魚が少ない。つまり、来季は産卵するために接岸する個体が少ない可能性があり、厳しい状況が続くだろう。」とみる。
資源管理の在り方などを関係機関で議論していきたいとしている。
<以下は白木個人の意見/感想です>
今季は「昨季の1割」ですか!
しかも、「今季は1歳魚が少ない。つまり、来季は産卵するために接岸する個体が少ない可能性があり、厳しい状況が続くだろう。」ですか!
もう言葉が出て来ないですね。
もちろん、ハタハタに代わる漁業の柱として、輝サーモンの養殖も始めていますが・・・。
やはり、八森といえば・・・
ところで、北海道ではハタハタ同様にかつてはニシンが大量に獲れましたが、獲り過ぎて絶滅寸前になりました。
しかし、その二シンが最近復活して来たと言うのです。
その対策はハタハタでも参考にできないだろうか。
基本的には水温かも知れませんが、産卵藻礁の育成や種苗放流(育苗放流)など人間側が可能な取り組みを継続するのです。
簡単かつ短期間で成果が出るものでは無いと思いますが、何十年も低迷することを考えたら取り組んでみる価値はあるのではないでしょうか。
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