東京生まれだが、秋田との縁は深かった。
父は秋田市、母は大館市、妻は八峰町の出身。
少女漫画誌「花とゆめ」などで知られる白泉社の元社長麻木正美さんである。
▼小学館や集英社で編集者としてキャリアを積んだ。
「小学三年生」や「りぼん」を担当。
ファッション誌「メンズノンノ」では編集長を務めた。
創刊に際し、専属モデルに自らの眼力で阿部寛さんを抜てき。
阿部さんは長く表紙を飾り同誌の売り上げに貢献した。
▼約10万人が犠牲となった東京大空襲を経験し、後に生家が全焼。
疎開先の秋田市土崎港では、土崎空襲で被災し足を負傷した。
幼い頃のつらい記憶を含め、秋田は特別な地だった。
▼首都圏のマスコミOBらでつくる「酒のペンクラブ」に所属。
月報では秋田にまつわるコラムを幾度も執筆した。
白瀑、銀鱗、阿櫻といった地酒やハタハタ、しょっつる鍋などを紹介。
6歳で母を亡くしたことや、疎開時に栄養失調で罹患(りかん)した皮膚病を大館市の日景温泉に通って治したこともつづった。
▼先月27日、麻木さんが亡くなった。享年93歳。
今月6日の葬儀には出版関係者らが多数参列し、俳優転身後も交流が続いた阿部さんの姿もあった。
▼数年前までどんなに忙しくとも毎夏、墓参りと妻固磨(こま)さん(81歳)の実家への帰省で本県を訪れていたという。
足しげく通った東京・神田の秋田料理の店「憩庵ぼたっ子」には友人知人を招き豊かな食の魅力を伝えた。
秋田をこよなく愛し、心の中にいつも秋田があった。
<以下は白木個人の意見/感想です>
麻木固磨さんは現在当ふるさと会の監査、かつ首都圏秋田県人会連合会でもご活躍されています。
個人的には、ご主人の故麻木正美さんとは2回お会いしたことがあり、とても優しい方で大変お世話になりました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
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