元能代工高バスケットボール部監督として全国優勝33回の偉業を達成し、「常勝・能代工」の礎を築いた加藤広志(かとう・ひろし)さんが3月4日午後1時20分、左肺腺がんのため入院先の能代市内の病院で死去しました。80歳。
葬儀は3月14日午後1時から同市元町のキャッスルホテル能代で行われました。喪主は妻のテイさん。
藤里町出身、日本体育大卒、昭和35年に母校の能代工高教諭、同バスケ部監督に就任しました。
無名だったチームを情熱に裏打ちされた厳しい指導で全国レベルまで鍛え上げ、42年の埼玉国体で初優勝を飾りました。
50年には史上初めてインターハイ(高校総体)と国体、選抜大会の3冠を達成。
平成2年に引退するまでの監督在任期間30年での全国優勝は33回を数えました。
このうち3冠達成は5回、インターハイ7連覇を達成、名将として全国に能代工高の名をとどろかせました。
また、教え子たちは大学や実業団、プロチーム、全日本代表の選手、指導者として活躍。
日本バスケ界をけん引する人材を育てました。
八峰町には直接関係は無いのですが、八森中学出身のバスケ選手もいたので当時から関心はありました。
本当に単純に凄いの一言では表現できない方でした。
ご冥福を祈ります。
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