製薬会社・龍角散(東京、藤井隆太社長)マーケティング部の鈴木覚子さん(29歳)は秋田市出身。
広告宣伝や広報、イベントなどを担当し、自社商品の魅力発信に取り組む。
龍角散は、秋田藩の典医だった藤井一族が江戸期に処方した薬に由来。
原型を作った藤井玄淵(げんえん)と子・玄信(げんしん)が現在の美郷町六郷東根に住んでいたとされる。
現在は、八峰町と美郷町で栽培されたキキョウやカミツレを原料に、医薬品やのどあめなどの各種製品を生産している。
鈴木さんは同社で唯一の本県出身者として定期的に来県し、生産者らと交流。
PR動画や交流サイト(SNS)での情報発信なども積極的に展開している。
「さまざまな業務に携わりながら、古里との深い縁をあらためて感じている」と話す。
また、バスケットボール男子Bリーグ1部(B1)秋田ノーザンハピネッツのオフィシャルパートナーとしてブースを出展することも。
消費者と触れ合いながら市場ニーズの把握などにつなげている。
「会社をPRしながら、古里にも貢献したいとの思いで仕事をしている。」。
両親をはじめ、古里からの反響がやりがいにつながっているという。
日本の医薬品の国際的な評価が高まる中、国内にとどまらずアジア各国での売り上げも順調に伸ばしており、「今後も八峰町や美郷町と連携しながら、世界に貢献するため、担当分野でできることをしていきたい。」と語る。
秋田高から学習院大へ進み、都内のゼネコン勤務を経て、2022年に同社へ入社した。
小学生の頃からフルートに親しみ、秋田高では吹奏楽部の部長を務めた。
フルート奏者として知られる藤井社長とは取引先のイベントなどで一緒に演奏することもある。
美郷町での演奏もきっかけとなり、町では今年4月から、藤井社長による唱歌「ふるさと」の演奏が毎日午後6時から防災行政無線で流れている。
鈴木覚子さん
<以下は白木個人の意見/感想です>
マーケティング部・鈴木覚子さんは秋田出身で、高校時代は吹奏楽部でフルート奏者でもあるんですね!
藤井社長と一緒にフルート演奏するとは・・・
まさに龍角散に入社すべく生まれたような因縁を感じますね。
尚、美郷町では、藤井社長による唱歌「ふるさと」の演奏が毎日午後6時から防災行政無線で流れている、んですか!?
ここまでやるか!?
三郷町の本気を感じます。
ところで、鈴木覚子さんのお名前「覚子」はなんとお読みするんでしょうか。
もしかしたら「さとこ」でしょうか?
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コメント失礼致します。秋田市の藤井と申します。
まず龍角散のホームページにあるのは六郷町史の記載ですが、これは当時の龍角散の許可を取って書かれたものではありません。
根本的に龍角散の原型を作った藤井玄信とは江戸中期~後期の人で、処方を習った遊学地は水戸市ですので、六郷東根に住んでいた親子では年代が合いません。
当家は国替えのあとに秋田市に住み、江戸中期には大曲(大仙市)に屋敷を持っています。さらには参勤交代のため、江戸時代から現在の龍角散ビルの近くに住んでいたと言われております。
なお、隆太社長の父親が「何代目かが医者になった」と書いています。
※資料通りですので、よろしくお願いします。
https://www.instagram.com/fujiiyakuho
藤井さま
コメントありがとうございます。
また、詳しい情報に感謝いたします。
是非、これらの情報を新聞記事元の秋田魁新報社や株式会社龍角散へご一報いただけますと幸いです。
嘘を書くな。巷では秋田市とも大曲の生まれとも聞いたことがあります。こういうことして恥ずかしくないですか?
観光ガイド、ラジオ局やラジオ番組、ラーメン店や訪れたSNS友人が多い人などの関係者などを悪く言う人を許しません。
ツイッター(エックス)の龍角散のアカウントだと水戸由来のものだと書いていましたけど?
https://x.com/fujiiyakuho
コメントありがとうございます。
ご承知のように、この主張は私共が独自に判断して述べているものではありません。
私共は、秋田魁新報社の記事をそのまま掲載しているに過ぎません。
藤井家の由来/歴史については、株式会社龍角散のHPに記載したページがありますので、ご覧いただければ幸いです。
https://www.ryukakusan.co.jp/history
三郷町の本気を感じ、龍角散のふるさとは美郷町で毎日午後六時から防災行政無線で流れていると主張し発言に疑義点の声があります。龍角散のホームページは偽情報を伝播したり原稿を書いた人物は本物の郷土史家ではない偽者騙りであるという意見が出ています。
いったんとりあえず龍角散と藤井玄信のwikipediaだと大曲にって書いてありました。