日別アーカイブ: 2016年1月18日

白神の詩CD 発売中!

誠に迂闊でした。
この様なCDが発売されている事に気付いていませんでした。
全てが地元出身の元オフコースメンバーの松尾一彦さん作曲なんですね。
視聴もできます。

松尾さんが「白神ばやし」の様な音頭まで作曲してたとは驚きました。
全て良い曲ですよ!

価格は1,000円(税別?)で、注文方法は上記リンクのページに記載されています。

秋田県のがんばる農山漁村集落応援サイト

八峰町役場HPの下部に5つのバナーが貼られており、その内の一つが当ふるさと会HPですが、「あきた元気ムラ!」と言うバナーがあるのに気付きました。
地元の方からすれば、「何を今更」だと思います。m(_ _)m
秋田県のがんばる農山漁村集落応援サイト

その中を覗いてみたら、八峰町では次の3ヶ所が紹介されていました。
本館岩子・大久保岱石川

これまで自分の集落を含めて、町内各集落や町の歴史はほとんど分かっていませんでした。
上記各リンクで開く各集落のページにはとても貴重な情報が満載でした。
抜粋して一部紹介します。

■本館■
「本館城は1606年、百姓一揆により落城、城主の武田重左衛門が自害したと伝えられています。
一揆で犠牲になった人々を弔うため、本館地域の人々によって400年間続けられている行事が「たいまつ祭り」です。」

たいまつ祭りの由来が百姓一揆による城主自害の弔いだったとは・・・。

「地名の“いわれ”だという、大母爺杜・小母爺杜・狐杜・小糠杜・大糠杜・祖神杜・佐々杜・種津杜の8つの杜(もり)」

初めて「八森」の地名の由来が分かりました。
小糠杜・大糠杜・佐々杜は分かりますが、他の山の場所を知りたいですね。
役場のHPに掲載してくれるとありがたいのですが m(_ _)m

「本館自治会が本格的なグリーンツーリズム(以下GT)活動を始めたのは1983年(昭和58年)。
地域のまとまりを保つために小人数で生活してきた本館集落。
今ほど少子高齢化が問題化していなかった時代から、すでに高齢化・過疎化集落だったと言います。
いち早く地域おこしのスタートを切れた理由は本館独自の風土が影響してるといえます。」

「右も左もわからずに始めたGT活動は不安との戦いの連続。
みんなGTが何なのかも分からないんですよ。『本当にここに人がくるもんだべか?』ってみんな不安を抱えてました。
秋田で最初のGT施設「夕映えの館」が完成した時の状況を斉藤さんはこう振り返ります。」

1983年(昭和58年)からグリーンツーリズム活動を続けてきてたんですね。
恥ずかしながら、私はこの記事を読むまでグリーンツーリズムと言う言葉自体知りませんでした。
今度是非「夕映えの館」へ泊まって見たいと思います。

■岩子・大久保岱■
「昭和50年代から花の街づくりに取り組んでいます。秋田県内のコンクールはもちろん、全国花いっぱいコンクールでは優良賞の受賞経験もあり、平成7年から8年にかけて、秋田県のモデル花壇地区の指定を受けました。」

昨年水沢ダムの写真を撮影しにこの地区を通った時に、突然車道の脇にカラフルな花が咲いていたので、ビックリしたことがありました。
この活動だったんですね。
是非継続して欲しいですね。

「少子高齢化が進み、岩子小学校は平成19年(2007年)で閉校となり、岩子小学校と共に行っていた「ホタルフェスティバル」「運動会」といった行事が無くなり地域から活気が薄れつつありました。
岩子、大久保岱、手這坂、大岱の4地区は、岩子小学校を中心にまとまってきた歴史があります。
大久保岱集落では、平成21年度に秋田県、八峰町、秋田大学の協力のもと「明るさ・希望調査」が行われ、この状況から地域再生の道を目指すため、大久保岱自治会では平成23年度にミニチャレンジ活動支援事業を活用して、「岩子・大久保岱地区大運動会」を復活させました。」

素晴らしいですね。
地域再生/活性化の為に自治会自らが取り組んでるんですね。

■石川■
「昭和38年(1963年)におきた集落の悪夢を思い出すとき、石川の人々は「サンパチ」と呼びます。
全焼138戸、半焼75戸、焼亡面積2万平方メートル。
家屋に加え農機具などの設備の被害を合わせ、2億3655万円に及ぶ被害を石川にもたらした「大火」が起きたのは、昭和38年4月15日の午後2時頃のことです。
後に「石川大火」と呼ばれ語り継がれる、峰浜村最大の「災害」でした。」

石川でかつてそんな大火があった事など全く知りませんでした。
でも、そこから希望を捨てずに全村民が一致団結して立ち上がり、平成11年度(1999年)農林水産省の農林水産祭むらづくり部門の「天皇杯」を受賞したとは・・・!

詳しくは次のサイトにも記載されています。
大火から蘇った村 石川郷中

そこへは次の記述があります。
「石川という地名が古文書に登場したのは1583年(天正11年)のこと。
郷中の皆さんによると、もともとは九州からやってきた落人がルーツだという。
地名の由来は峰浜村誌によると、石川は竹生川沿いに開けた村で、石の多い川だったことから名づけられたという。」

上記サイトには村の守り神・竹原神社の事も書かれています。

因みに、当時の農村の人々の写真が次のサイトにあります。
主に県南ですが、どこも同じような状況だったと思います。
かつての少年少女に贈る、日本人の心の原風景 in 秋田
ページの上下に「NEXT」と表示されている時は、クリックすると次の写真ページが表示されます。

八峰町全集落の歴史や現在の取り組み状況など、自分が生まれた集落や町の情報を是非知りたいと思います。
役場で郷土史研究家や昔の事に詳しい地元のご年配の方々にお聞きし、少しづつでも役場のHPに掲載していただけると嬉しいですね。 m(_ _)m