地方点描:最期の姿

「遺品を持ち帰った兵士は戦没者の最期の姿を見ているはず。遺族にはなぜもっと早く返してくれなかったのかという気持ちと、最期の姿がどうだったのかを聞きたいという思いがあるでしょう」

能代市から出征し1945年6月に沖縄本島で戦死した松嶋千代治さん=当時(26歳)=の遺品となる日章旗が先月20日、市内に住む遺族に返還された。
返還式で県遺族連合会の田口昭益事務局長が語った言葉が印象的だった。

日章旗を保管していた元米兵は既に亡くなり、そのおいが旧日本兵の遺品返還に取り組む米国のNPOに託したが、詳しい経緯は分かっていない。
戦後81年になろうとする中、米国でも戦争の記憶が失われているのだと知った。

筆者にも最期を知りたいと望む相手がいる。
八峰町八森から出征し、45年3月にフィリピン・ルソン島で戦死した母方の祖父で、墓石には「マニラ東方ニテ戦死ス」と刻まれているが遺骨はない。
県庁に軍歴を照会したが、原簿は57年の県庁火災で焼失し、出征時期さえ分からない。
公的記録で分かるのは所属した「岩下大隊」が「玉砕的損害」を受けて「ほとんど全員戦死」したとあるだけだ。

八峰町遺族会事務局を訪ねた際、JRあきた白神駅近くに96年に建立した平和祈念碑があることを教えてもらった。
碑には祖父の名も刻まれてあり、北海道に住む母(81歳)に知らせると喜んでいた。
能代山本地域には少なからず祖父と同じ部隊で戦死した人がいることも知った。
戦争での個人の死は遺族が望んでも掘り起こすことは容易ではない。
ただ、祖父が生きた証しの断片は必ずあると感じた。

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<以下は白木個人の意見/感想です>
「遺品を持ち帰った兵士は戦没者の最期の姿を見ているはず。遺族にはなぜもっと早く返してくれなかったのかという気持ちと、最期の姿がどうだったのかを聞きたいという思いがあるでしょう」
遺族の気持ちは痛いほど分かります。
「玉砕的損害」!
人間の尊厳など一切顧みられません。
本当に戦争はやってはいけないですね。
ところで、JRあきた白神駅近くに平和祈念碑があるとは、初めて聞きました。
「濤安(とあ)の乙女像」のことか? と思ったのですが、濤安の乙女像は昭和58年に発生した日本海中部地震の犠牲者を追悼するための祈念像なので違いますね。
ネットで調べても見つかりませんでした。
どこにあるんだろうか。

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