furusato_shiroki のすべての投稿

「期待に添えず申し訳ない」三菱商事・中西社長、鈴木知事に陳謝

能代市・三種町・男鹿市沖を含む国内3海域で進めてきた洋上風力発電所の建設計画から撤退すると発表した三菱商事の中西勝也社長が29日、秋田県庁を訪れ、鈴木知事に「秋田の皆さんの期待に添えず、本当に申し訳ない」と陳謝しました。
鈴木知事は「誠に残念であり、遺憾というほかはない」と述べました。
中西社長は地域共生の取り組みを継続すると述べ、先行投資してきた県内企業や関係自治体への説明に努めていく考えを示しました。
鈴木知事との面会は冒頭のみ公開され、中西社長は知事に対し頭を下げて撤退を陳謝。
面会後、取材に応じた中西社長は「厳しい言業を頂きつつも、未来志向での激励も頂き、ありがたかった」と選べ、地域共生策の継続に加え、秋田支店も存続させると明言しました。

北羽新報の記事

北羽新報のトップページ

<以下は白木個人の意見/感想です>
秋田県の経済発展にとっては、本当に痛い!と思います。
既に当てにして先行投資している民間企業もあると思います。
機械設備だけでは無く、関係者や保守人員が泊まるホテル等の宿泊施設も。
果たして、どう乗り切るのか、国だけでは無く、知事・市長等首長の腕の見せ所です。

皆様も投稿記事への感想やご意見など何でもご自由にコメントし、コミュニケーションしませんか。

※ この画面を下ヘスクロールするとコメント欄が表れます。
この投稿記事に対して誰でもが何人でも自由にご自分の考えや思ったことをコメントできます。
また、そのコメントに対して誰でもが何人でも自由に返信コメントができます。
投稿記事をテーマにしてコミュニケーションしましょう。

白神山地を「ユネスコエコパーク」に 懇談会で登録提案する意見

白神山地世界遺産地域の管理に関する懇談会が26日、藤里町総合開発センターで開かれました。
能代山本や青森県から事前に申し込んだ約15人が行政機間と意見を交わす中で、白神山地が生物圏保存地域(ユネスコエコパーク)に登録されるように活動していくべきとの提案などがありました。
県自然保護課は「周辺市町村全体としてユネスコエコパーク登録を目指す方針が示された場合には白神山地世界遺産地域連絡会議の場で検討、協議したい」と答えました。
世界自然遺産は顕著で普遍的価値を有する自然を厳格に保護することを主目的としているが、ユネスコエコパークは豊かな生態系や生物多様性を保全するとともに文化的にも経済・社会的にも持続可能な発展を目指すものです。

北羽新報の記事

北羽新報のトップページ

ユネスコエコパーク

<以下は白木個人の意見/感想です>
世界遺産が自然保護を主目的とするのに対し、エコパークは「保全」「利用」「地域社会の発展」の3つの機能を中心に、持続可能な発展のためのモデル地域となることを目指します。
2025/3/25掲載「別冊太陽 世界自然遺産  30周年 環白神の世界」記事で紹介していますが、この活動がエコパークに繋がるのではないでしょうか。

皆様も投稿記事への感想やご意見など何でもご自由にコメントし、コミュニケーションしませんか。

※ この画面を下ヘスクロールするとコメント欄が表れます。
この投稿記事に対して誰でもが何人でも自由にご自分の考えや思ったことをコメントできます。
また、そのコメントに対して誰でもが何人でも自由に返信コメントができます。
投稿記事をテーマにしてコミュニケーションしましょう。

八峰町がポンポコ山公園などに子どもの遊び場整備へ 議会全員協議会で説明

八峰町は、子育て世代の要望を受け、子どもの遊び場の整備に新規事業で取り組む方針を決め、26日に町役場で開いた町議会全員協議会で概要を説明しました。
同町峰浜沼田のポンポコ山公園バークセンターの屋内外に乳幼児から遊べる複合遊具などを、八森地区の中央公園にはブランコなどを設置する計画で、関係経費を計上した今年度一般会計補正予算を9月定例議会へ提出予定。
今年度内の完成、来春供用開始を見込みます。

北羽新報の記事

北羽新報のトップページ

<以下は白木個人の意見/感想です>
これは素晴らしい施策だと思います。
既に住んでいる子供らにはもちろんですが、少子化対策で移住者を募集するにしても、子供の環境に夢があり安心できることが大きなポイントになると思います。
現状の子供の規模を前提にするのでは無く、予算的には苦しいとは思いますが、これから増えることを前提に作っていただきたいと思います。

皆様も投稿記事への感想やご意見など何でもご自由にコメントし、コミュニケーションしませんか。

※ この画面を下ヘスクロールするとコメント欄が表れます。
この投稿記事に対して誰でもが何人でも自由にご自分の考えや思ったことをコメントできます。
また、そのコメントに対して誰でもが何人でも自由に返信コメントができます。
投稿記事をテーマにしてコミュニケーションしましょう。

「基地港湾」能代港の利用計画宙に浮く 三菱商事の洋上風力撤退で

国と県で総額145億円を投じて整備した能代市の能代港大森地区の活用が、不透明さを増しています。
洋上風力発電の建設拠点となる「基地港湾」として、6年がかりで大型風車部材の受け入れ準備を進めてきましたが、初の利用者と目された三菱商事が建設計画からの撤退を決めたため、活用が見込めなくなりました。
一方、八峰町・能代市沖の洋上風力事業を担うENEOSの企業連合は、2市町沖での施工を北海道の室蘭港で行う計画で、R8年3月の着工、R10年12月の稼働を日指しています。
三菱の撤退で能代港の利用計画が宙に浮く中、地元では「ENEOSは最寄りの能代港を使った方が効率的では」との声が上がる。
同港を管理する県港湾空港駅は「どの港を使うかは事業者判断だが、設備は空いている。早期に活用してもらえればありがたい」と本音を語ります。

北羽新報の記事

北羽新報のトップページ

<以下は白木個人の意見/感想です>
三菱商事の洋上風力には、てっきり八峰町沖も含まれると思っていたのですが、八峰町沖はENEOS企業連合だったんですね。
それにしても、以前国による援助を再構築したのに、それでもカバーできなかったんですね。
「洋上風力発電の能代・三種・男鹿沖 経産省が公募占用指針改定案 売電価格に40%転嫁可能に」。
三菱商事の当初のコスト上昇リスクの見積もりが甘過ぎたのか、国の支援策がまだまだ甘過ぎたのか、再発防止の為にも、是非詳細な原因を分析していただきたいと思います。
そして、ENEOS企業連合の八峰町沖は、大丈夫であることを祈っています。

皆様も投稿記事への感想やご意見など何でもご自由にコメントし、コミュニケーションしませんか。

※ この画面を下ヘスクロールするとコメント欄が表れます。
この投稿記事に対して誰でもが何人でも自由にご自分の考えや思ったことをコメントできます。
また、そのコメントに対して誰でもが何人でも自由に返信コメントができます。
投稿記事をテーマにしてコミュニケーションしましょう。

不漁続くハタハタの資源回復にも関係? 八峰町で「ギバサ」テーマに学習会

秋田県内で親しまれている海藻アカモク(ギバサ)の資源確保をテーマにした学習会が23日、八峰町八森の文化交流センター・ファガスで開かれ、若手漁師や県職員がギバサを育てるための岩場の清掃など取り組みを紹介しました。
八峰白神ジオパークガイドの会(鈴木和人会長)の主催。

ギバサは強い粘り、しゃきしゃきとした食感が特徴。
八峰町の八森、岩館両漁港では5月15~31日に収穫しています。
2008年までは収量が計50トンを超える年もありましたが、その後は最大で計20トン台と減少傾向にあります。
地元漁師と県水産振興センター(男鹿市)などが連携し、20年から収量確保策を進めています。

この日は八峰町の漁師船越宗大さん(39歳)と、同センターの加藤雄平技師が講演しました。
ギバサが海中の岩やテトラポットに定着しやすいよう、他の海藻や貝類などを鎌やへらで取ったり、ギバサの母藻をチェーンなどで海底に固定したりし、1年後の収量が1平方メートル当たり最大8.4キロ増えたことを紹介。
今後も取り組みを続けるとしました。

加藤技師は、ギバサが海中に増えることがハタハタの産卵場の確保につながると述べ「副次的効果として、不漁が続くハタハタの資源回復につなげたい」と話しました。

講演は約30人が聴きました。
同町八森の山本百合子さん(82歳)は「私が幼い頃には、岸まで流れついたギバサを集めて家で調理しており、買うものではなかった。テレビでも珍しい食材として紹介されるようになり、時代の変化を感じる」と話しました。

講演の後は、バスでチゴキ崎や鹿の浦展望台など海岸沿いのスポットを巡りました。
当初は船で海上を回る予定でしたが、19日からの記録的な大雨を受けて予定を変更しました。

秋田魁新報の記事

秋田魁新報のトップページ

<以下は白木個人の意見/感想です>
ギバサは大好きです。
超粘るあの粘りがとても美味しいのです。
更に健康にも良くて、更にハタハタ資源回復にも役立つという一石三鳥。
作業は大変だと思いますが、是非頑張って活動を継続/促進していただきたいと思います。

皆様も投稿記事への感想やご意見など何でもご自由にコメントし、コミュニケーションしませんか。

※ この画面を下ヘスクロールするとコメント欄が表れます。
この投稿記事に対して誰でもが何人でも自由にご自分の考えや思ったことをコメントできます。
また、そのコメントに対して誰でもが何人でも自由に返信コメントができます。

八峰町「峰浜ナシ」の収穫始まる 小玉傾向も糖度十分

八峰町峰浜地域の果樹園で、特産のナシの収穫が始まりました。
ひょう害や雨不足などの影響で、「送りナシ」用の良品不足や小玉傾向が見られるものの、糖度は十分。
毎年国道101号沿いに並ぶ直売所は、成熟の遅れから9月開店予定の果樹園もあり、収穫の本格化に従い、みずみずしく甘い「峰浜ナシ」を買い求める住民らでにぎわいそうです。
約140年続くという同町峰浜水沢の笠原果樹園(山田勝園主)は今月16日に和ナシ「若光」で今季の収穫がスタート。
主力品種の「幸水」は25日に取り始め、1個1個、色づき具合を見ながら収穫しています。5代目園主の山田さんは「雨不足で地下水をポンプでくみ上げてまいたが、枯れてしまった木もある。小玉傾向のようだが、幸水は糖度が14、15あり、十分甘いと思う」と語ります。

北羽新報の記事

北羽新報のトップページ

<以下は白木個人の意見/感想です>
今夏の異常気象には大変ご苦労されているんですね。
しかも、笠原果樹園は新しいメンバーに引き継いだばかり。
小玉だけど、糖度が高いことが幸いです。
以前は確か郵送で注文書用紙が来ていましたが、今年は届いていないようです。
どうしたのか。

皆様も投稿記事への感想やご意見など何でもご自由にコメントし、コミュニケーションしませんか。

※ この画面を下ヘスクロールするとコメント欄が表れます。
この投稿記事に対して誰でもが何人でも自由にご自分の考えや思ったことをコメントできます。
また、そのコメントに対して誰でもが何人でも自由に返信コメントに対して誰でもが何人でも自由に返信コメントができます。
投稿記事をテーマにしてコミュニケーションしましょう。

八峰町学校等再編検討委 統合パターンなど議論 意見集約には至らず

八峰町学校等再編検討委員会(川尻茂樹委員長)の第3回会議は25日、同町八森のファガスで開かれ、八森小と峰浜小の統合に向けた話し合いを続行しました。
7月に行った視察を踏まえ、校種や教育課程、施設形態を絡めた「統合パターン」、統合時期などに関して意見を述べ合いました。
意見集約には至らず、10月に開く第4回で議論を深めます。

北羽新報の記事

北羽新報のトップページ

<以下は白木個人の意見/感想です>
このまま少子化傾向が続くと、いずれは能代市の小学校へ統合されることになり、町の小学校の歴史は消滅してしまいます。
母校の校舎が消えるだけで無く、校名や校歌までもが消えてしまいます。
それは自分の心の拠り所が消滅してしまうということ。
さすがにそれは・・・、と言ったところでしょうか。
でも、その行き着く先は、行政も全て能代市に統合されてしまわざるを得ません。

以下、私事で済みません。
この夏に母親の法事で久々に帰省した折に、町内の101号線旧道を車で椿台から岩館までゆっくり往復で走ってみました。
つまり、集落内を通る昔の幹線道路です。
昔は当たり前なのでなんとも思っていなかったのですが、その狭いこと、空き家の多いこと、通りの寂れ具合にはとても衝撃を受けました。
これは、自分が生まれ育った町なのか、と。
もちろん、行政はじめ町民の方々には、何とか町を盛り立てようと必死にあらゆる可能性にご努力いただいています。
以前町のパブリックコメント募集に応募させていただいた「転職なき移住策」も改めてご検討いただければ幸いです。

「“全国どこでも勤務可” IT業界に動き 意欲向上・人材獲得へ」にパブリックコメントの骨子があります。

皆様も投稿記事への感想やご意見など何でもご自由にコメントし、コミュニケーションしませんか。

※ この画面を下ヘスクロールするとコメント欄が表れます。
この投稿記事に対して誰でもが何人でも自由にご自分の考えや思ったことをコメントできます。
また、そのコメントに対して誰でもが何人でも自由に返信コメントができます。
投稿記事をテーマにしてコミュニケーションしましょう。

世界大手ベスタス社、日本国内で風車製造か 八峰・能代沖事業に追い風

八峰町・能代市沖で計画されている洋上風力発電事業に追い風となりそうな動きが出てきました。
世界大手の風力発電機メーカー・ベスタス(デンマーク)が先月30日、経済産業省、日本製鉄(東京)と覚書を交わし、日本国内で風車の製造を検討することになりました。
事業を担うENEOSリニューアブル・エナジー(東京、ERE)の企業連合は、2市町沖にベスタス製の風車を25基建設する予定ですが、経済性の確保に苦しんでおり、国内調達率を高めることで事業採算の安定化につながる可能性があります。
ベスタス社は「風力業界で重要な役割を担う企業との連携を通じて、地域に根差した体制を強化し、エネルギー転換を支える持続可能な風力サプライチェーン(供給網)の構築を目指す」としています。

北羽新報の記事

北羽新報のトップページ

ベスタス wiki

ベスタス社ニュース

<以下は白木個人の意見/感想です>
これは凄いですね。
ベスタス社が日本国内で風車製造を検討することになるとは。
ベスタス社としては、今回の25基で終わりでは無く、以降の需要も継続的に見込める計算でしょうか。

皆様も投稿記事への感想やご意見など何でもご自由にコメントし、コミュニケーションしませんか。

※ この画面を下ヘスクロールするとコメント欄が表れます。
この投稿記事に対して誰でもが何人でも自由にご自分の考えや思ったことをコメントできます。
また、そのコメントに対して誰でもが何人でも自由に返信コメントができます。
投稿記事をテーマにしてコミュニケーションしましょう。

さまざまな体験満喫 八峰町で「白神わんぱく塾」

体験センター主催の「あきた白神わんぱく塾」は1日から1泊2日で開かれ、町内外の小中学生がピザ作りや工作のほか、山へ海へと繰り出し、自然体験をたっぷり楽しみました。
夏休み中の子どもたちが、日本海と白神山地の自然の中で学び、遊び、作る体験を楽しみ、交流する機会を提供しようと実施。
今回は、同町の伝統行事に触れたり、自然や普段はできないことを体験するプログラムが組まれ、町内や秋田市、能代市の小学4年生から中学2年生まで19人が参加しました。
初日の1日は、ピザ作りや白瀑神社例大祭の「みこしの滝浴び」見学、留山散策、貝殻ストラップ作りを楽しみました。
最終日は中浜地区の海岸でシーカヤックを体験しました。

北羽新報の記事

北羽新報のトップページ

<以下は白木個人の意見/感想です>
山あり海あり、伝統行事に触れたり、ピザも作れば工作もする、しかも初めて会う他学年・他校の仲間とコミュニケーションしながら。
なんという理想的な体験学習でしょうか。
私も子供の頃に体験したかったです。
ただ、残念なのは一回の募集人員でキャパが20名なことです。
であれば、もっと何回もできないだろうか。
夏休み期間中と制約はありますが。

皆様も投稿記事への感想やご意見など何でもご自由にコメントし、コミュニケーションしませんか。

※ この画面を下ヘスクロールするとコメント欄が表れます。
この投稿記事に対して誰でもが何人でも自由にご自分の考えや思ったことをコメントできます。
また、そのコメントに対して誰でもが何人でも自由に返信コメントができます。
投稿記事をテーマにしてコミュニケーションしましょう。

[通化事件]金平美智子さん(89)目の前で軍人の命絶たれ 今伝えたい私の記憶(3)

金平美智子さん(89歳) =秋田県山本郡八峰町峰浜

1936年2月に樺太の豊原(現・ユジノサハリンスク)で生まれました。
両親は男鹿市船越の出身です。
小学校1年生の時、男鹿の「船川開拓団」の一員として、両親と6人きょうだいで満州(現中国東北部)に渡りました。
安東省桓仁(かんじん)県の、のどかな田舎町でした。
45年8月15日、小学校にいると、朝鮮人の先生が理由も言わずに「すぐ帰りなさい」と言う。
帰宅すると母に「日本が負けた」と聞かされ、ここにはいられないというので、開拓団で出発しました。
夜中だったように思います。
父は召集されていて不在でした。
最初は現地の人が引く馬車に乗りましたが、途中から歩いて野宿したり、どこかの校舎に泊まったりしました。
ソ連軍の侵攻が始まっていたから、若い女性は髪をそって、顔に泥を塗っていました。
鉱山の街だった通化に落ち着いたのは秋ごろだったでしょうか。
住宅を割り当てられて住みました。
いつ帰国できるか分からず、母や16歳の長兄、14歳の次兄は、現地の人が営む鍛冶屋や農家で働きました。
その後父が船川開拓団を探してたどり着き、再会できました。
でもほとんどの家は男性が戻りませんでした。

〈46年2月3日、旧日本軍の一部が武装蜂起した通化事件が起こる。
中国共産党軍(八路軍)側に鎮圧され、一般市民を含む多くの日本人が殺された。
犠牲者数には資料によって幅があるが、59年の厚生省引揚援護局未帰還調査部のまとめによると約1200人とされる〉

9歳の時でした。
46年2月3日の夜明け、バンバーンと銃撃の音が聞こえた。
凍った窓を拭いて外を見ると、船川開拓団の団長が、下着姿で靴も履かないまま道路の真ん中で八路軍に引っ張られていました。
父が「あっ、団長が連れて行かれた」。
私たちは身支度をするよう言われ、急いで服を着ました。
間もなく八路軍兵士が家に入ってきました。
蜂起した日本の軍人をかくまっているんじゃないかというんです。
「誰もいない」と言っても全ての部屋を開けて回りました。
そして2人の兄が連れて行かれ、別の兵士に父も連行されました。
母とすぐ上の兄、私、弟、妹は外に出されました。
玄関の入り口に板を張られ、釘で打たれたんです。
どこの家もそうでした。
冬は零下20度にもなります。
寒くて寒くて。
母が「夜までこのままでは皆死んでしまう」と言い、私は死ぬのは嫌だと泣きました。
しかし夜になるとまた別の兵士が来て、釘を取って家を開けてくれました。
同じことが何度か続きました。
日本の軍人1人が私たちの家のすぐそばの物置小屋に隠れていたんです。
引っ張り出され、殴られたり、銃剣でたたかれたりして、「うーん、うーん」ってうなりながら私の目の前で息絶えていきました。
汚れた軍服を着た若い人だった。
外でも1人捕まって死ぬまで暴行されているのを見ました。
道路には死体が転がっていた。
とび口で無造作にトラックに積んで運ばれたり、川に捨てられたりしていました。
死んだ後に着物を奪われていた死体もありました。
むごいことをすると思いました。
事件が落ち着いてから、現地の人が「日本人はもっとひどかった」と言っていたことを知りました。

父は4,5日で戻ってきました。
諦めかけていたので、うれしかった。
連行された際、八路軍幹部の馬の調子が悪くなり、父が独学で身に付けていた針治療を施し、何頭か治して釈放されたそうです。
兄たちは1週間以上たって帰ってきました。
げっそりやせていました。
最初は防空壕(ごう)に入れられたそうです。
大勢いる壕に無理やり押し込められて、先に入った人は押されて死んでいく。
2日たつと出されて、煮たコーリャンを食べ、また壕に戻される。
凍った死体の上に立っていたと聞きました。
兄たちは殺される寸前だったと話していました。
ぎりぎりで、八路軍幹部の馬を助けた日本人の息子だと分かり、釈放されたそうです。
喜んだのもつかの間、弟がはしかになった後、寒さで急性肺炎を発症し死んでしまいました。
数えの5歳でした。
間もなくして、隣の家のおばあさんが「孫は満人(現地の中国人)にくれる」って話していたんです。
母親が亡くなり、召集された父親も戻らないため育てられないと。
そしたらうちの母が「私が育てる。秋田に連れて行く」と言ったんです。
9歳と10歳の男の子でした。
少しして、そのおばあさんは亡くなり、周囲の人は「置いていこう」と言ったが、母は渡しませんでした。

〈戦争末期のソ連軍の満州侵攻や戦後の混乱で、開拓移民として入植していた日本人の多くが家族と生き別れた。そのまま中国で「残留孤児」や「残留婦人」となった人が大勢いた〉

ようやく引き揚げ船に乗ったのは46年秋ごろでしょうか。
たくさんいた開拓団も、多くが亡くなりその頃にはだいぶ減っていました。
九州の港に着いて、汽車に乗って上野駅まで来たんです。
そしたら私の実家の名前を呼ぶ男性がいる。
「米屋さんいませんか!」。
その人、男の子たちの父親だったんです。
船川開拓団の行く先を調べて探したんでしょう。
そこで親子が再会できたんです。
その後、男の子が成人して実家を訪ねてきてくれたそうです。
「あの時連れてきてくれてよかった」と、すごく感激していたと聞きました。
本当に恐ろしい目に遭いました。
通化事件を経験した人はもうほとんどいないでしょう。
こんな悲惨なこと、二度とあってはなりません。

秋田魁新報の記事

秋田魁新報のトップページ

通化事件

<以下は白木個人の意見/感想です>
通化事件は日本人が虐殺など被害を受けた事件として知られていますが、その前に日本側が酷いことをさんざんやったために、仕返しされたようです。
戦争とは兵士の銃弾による戦いだけでは無く、何の罪もない一般市民も悲惨な戦いに巻き込まれていきます。
核戦争だけで無く、国対国の戦争自体を無くさなければならないですね。
全地球人民は、国家による徴兵命令を拒否できる権利が基本的人権として保障されるようにはならないものだろうか。
戦争しようにも成り立たないように。
問題は、誰が?どこの組織が?その権利を保障するのか、保障できるのか、ですよね。
宇宙最強兵器を持つエイリアンを期待するしかないのだろうか。

皆様も投稿記事への感想やご意見など何でもご自由にコメントし、コミュニケーションしませんか。

※ この画面を下ヘスクロールするとコメント欄が表れます。
この投稿記事に対して誰でもが何人でも自由にご自分の考えや思ったことをコメントできます。
また、そのコメントに対して誰でもが何人でも自由に返信コメントができます。